ジョージ・クルックシャンク

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ジョージ・クルックシャンク (George Cruikshank)(1792年9月27日 - 1878年2月1日)
19世紀の挿絵はクルックシャンクとともにはじまるといわれるヴィクトリアン時代を代表する挿絵画家。
ディケンズ「オリヴァー・トゥイスト」より


◇家族構成など
・父はスコットランドの著名な風刺画家アイザック・クルックシャンク
・イギリス、ロンドン生まれ。
・兄のアイザック・ロバートも画家。
・1810年代には政治家などの権力者や世相を扱った風刺画で、ジェームズ・ギルレイ、トーマス・ローランドソンに代わるスター画家に。

◇風刺版画の人気が衰えた1820年代からは挿絵の分野に移る。
・フィールディングやデフォーの小説の挿絵を手がける
・現代のホガースとも称される人気。

◇グリム兄弟の『ドイツ民話集』(全2巻 1823-26)英語版の挿絵を手がける。
・イギリスで子供向け挿絵本が黄金時代を迎えたのは、この民話集の英語版が 出版された時と言われている。
・ストーリーに忠実で、ゴシック風で軽やかな挿絵は物語の精神性とマッチし、22点の挿絵は大好評となった。
・19世紀の美術・建築評論家・ジョン・ラスキン(1819-1900 英)の言葉「レンブラント亡き後、描写の秀逸さにおいてクルックシャンクに並ぶ者はいない。その素描の何点かはレンブラントを越えると言ってもいい」
・グリム兄弟も彼の絵を高く評価し、再話した民話の後々の版への使用を切望。

◇当時駆け出しだったチャールズ・ディケンズ作品の挿絵を手がける
・『ボズのスケッチ集』(1836年)『オリバー・ツイスト』(1838年)。
・ディッケンズの死後の1871年、『オリバー・ツイスト』のおおまかな筋書きや登場人物は自分が発案したと『タイム』誌で発言し物議を醸した。

◇『酒びん』(1847年)で思いがけぬ大成功
・当時の禁酒ブームから着想を得た8枚つづりの連作版画集。
・一杯の酒が良識的な一家庭を破滅に追いやる飲酒の冷酷無情な経過を描く。
・クルックシャンク自身も、何年も酒に溺れる日々を送ってきていたが、この頃には心を入れ替えて熱心な禁酒主義者になり、飲酒の害を説いて回って知人を閉口させた
・安価で売られたこともあって爆発的な人気を博し、この作品を翻案した小説や芝居なども作られた。
・続編の版画集『酒飲みの子供たち』(1848年)を製作
 
◇物議を醸し出した『ジョージ・クルックシャンクの昔話文庫』
・『おやゆび姫』(1853)『ジャックと豆の木』(1854)『シンデレラとガラスの靴』(1854)『長靴をはいた猫』(1864)の名作4話の挿絵を手がけ、禁酒への教訓を説くような文章へと書きかえる。
・チャールズ・ディッケンズをはじめ批評家や以前の仕事仲間は有名なおとぎ話を勝手に改ざんしたと批判。
・その後30年以上も読みつがれ、1885年には4冊合本の特捜版としてよみがえった。

◇禁酒のテーマを扱った4メートルにおよぶ大作『バッカス崇拝』(1860)を製作。(現在ロンドンのテイト・ギャラリーに収蔵)

参考:連想美術館
<子どもの本>黄金時代の挿絵画家たち(リチャード・ダルビー・著/吉田新一・宮坂希美江・訳 2006 西村書店)


          


071007cruikshank2.jpg死の英国銀行券(1818)
・銀行券の偽造防止の努力はまったくしないくせに偽造犯の処罰にだけは血眼になる政府とイングランド銀行に対する辛辣な皮肉をこめて描かれ、ウィリアム・ホーンの手によって発表。

・17世紀の末に設立されたイングランド銀行は、イギリスの金融市場を独占し、発行する銀行券は「goldと同じ価値がある」といわれるほど信用が高かった。今でいう小切手に近いもので、銀行で金貨に交換してもらうことができた。
・戦争中の銀行券に対する現金の支払いを制限することにより、現金が市場から急速に姿を消す。
・その後イングランド銀行が1ポンドと2ポンドの銀行券を発行。この少額「紙幣」は通貨不足に悩む庶民の間にたちまち流通するが、問題は、印刷に工夫がなされていないこの銀行券の偽造が極めて容易だったので、偽造の誘惑に負け、通貨偽造犯として絞首された人間は、1821年までの間に300人を越えた。

・当時フリート・ストリートの近くに住んでいたクルックシャンクが、ある朝 8時過ぎに通りかかったオールド・ベイリーは大勢の人々でごった返し、みな一様にニューゲイト監獄の方を見上げていた。そこには監獄の前の絞首台にぶら下がった数人の死刑囚の姿があった。
朝日を浴びて揺れる絞首死体のうち2人は女性だった。彼女たちが銀行券を偽造したわけではなく、悪党どもが、なにも知らない貧民街の女たちに酒屋でジンを一瓶買ってくるよう頼み、渡された偽造銀行券で、彼女たちはただ言われたままに店に行ってそれで払いをすませ、お釣りを受け取る。これが彼女たちの罪であり、大勢の前で処刑される理由なのだ。クルックシャンクは、こうした処刑をなんとかして止めなければと決意。

・急いで帰宅したクルックシャンクは10分で「銀行券」の下書きを描き上げ、たまたま訪れたホーンがテーブルに広げられたこのデッサンに強い関心を示し、完成した銅版画の出版は彼が引き受けることになった。・ホーンの店に並べられた途端、この一枚の版画はロンドン市民の間に一大センセーションを巻き起こした。クルックシャンクが感じた憤りは、ロンドン市民によって急速に共有されていった。
・間もなくイングランド銀行は取締役会を開き、1ポンド銀行券の発行を中止することを決定。内務大臣ロバート・ピールによって刑法が改正され、軽罪に対する死刑条項が大幅に削減。1832年、通貨偽造は、死刑が適用される罪ではなくなった。

・クルックシャンクは、大勢の命を絞首台から救うことになったこの一枚の「銀行券」を、自分の生涯で最も重要な作品だったと語っている。



          


2003年に行われた伊丹美術館での日本での最初の展覧会の解説より
http://www.museum-cafe.com/exhibition/exhibit_dtl.asp?eid=5411
チャールズ・ディケンズの小説『オリヴァー・トゥイスト』の挿絵画家として有名なジョージ・クルックシャンクの国内最初の展覧会を開催します。

G・クルックシャンクは、1792年スコットランド出身の諷刺画家、アイザック・クルックシャンクを父としてロンドンに生まれました。かれは正式の美術教育を受けませんでしたが、父のもとで三つ違いの兄ロバートと一緒に絵とエッチングの技法を学びました。幼少の頃から富くじのデザイン、お伽話の口絵、歌謡の飾り絵などを制作し、19歳の頃にはすでに一人立ちするほどの早熟ぶりでした。1811年の父の死後、「諷刺画というゆりかごの中で育った」彼はいち早く政治諷刺画の世界で活躍をはじめます。

1810年代、イギリス最大の諷刺画家ジェイムズ・ギルレイが精神に異常を来たして第一線を退き、ギルレイと双璧をなすトマス・ローランドソンも版画制作に衰えを見せはじめていたとき、彼はギルレイの後継者として一躍イギリスを代表する諷刺画家として注目されるようになります。

「現代のホガース」とまでいわれたかれの諷刺画の数は2000枚ともそれ以上ともいわれますが、1820年代、諷刺画がひとつの時代を終えるとともに、クルックシャンクも諷刺画の世界から挿絵の世界への転身をはかります。

小説の挿絵としてまず手がけたのは、スコットや18世紀の大作家スモレット、フィールティング、ゴールドスミス、スターンなどの作品でした。
そこで小説の挿絵の技法を学び身につけたクルックシャンクは1830年代の後半になるとディケンズをはじめ、同時代作家の挿絵をつぎつぎと制作するようになります。

19世紀の挿絵はクルックシャンクとともにはじまるといわれ、かれは諷刺版画の世界でそうであったように、挿絵の世界でも当代随一の画家として名声をほしいままにします。

クルックシャンクの画風は諷刺画の誇張歪曲されたグロテスクな世界から挿絵の滑稽でユーモラスな世界まで多様かつ多彩で、その才能はエッチングという版画技法を通してみごとに発揮されます。

本展は初期の諷刺版画、その後の『オリヴァー・トゥイスト』や『ジャックと豆の木』などの挿絵を合わせて350余点を紹介します。

開催場所 伊丹市立美術館
開催期間 2003/01/25〜2003/03/30 
休催日 月曜日(祝日の場合開館し翌日休館)、2/24〜28 
料金 一般 700(500)円・大高生 350(250)円・小中生 100(80)円
※( )内は20名以上の団体料金 
ジャンル 外国の水彩・素描、外国の版画 
主催 伊丹市立美術館、伊丹市文化振興財団 
お問い合わせ 伊丹市立美術館 Tel.072-772-7447


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