7/30(金)閉館時間の8:00ギリギリまで、じっくり見てしまいました。最近、嵐のように展覧会に行きまくってるわたしですが、この展覧会ほど、見ごたえがあると感じたのは、なかなかないです。さすが、東京国立博物館。作品の出展数・質・構成と、どれをとっても、文句ナシの、素晴らしい展覧会だと思います。
作品を堪能するだけでなく、日本の工芸と、世界に与えた影響、近代の西洋美術の歴史を知るにのも、もってこいの展覧会と言えると思います。いやもう、日本の工芸は、世界一です!もっと、わたしたちは自国の文化や技術に誇りと自信を持つべきだと、心底思いました。
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展覧会前半は、万博と日本工芸。とにかく、日本のありとあらゆる、美しい工芸作品が見られます。蒔絵・陶磁器・七宝など。ずらりと並んだ、人間業とは思えないほどの、細密で美意識を極めた作品群を、ただただ、ため息と共に、見入るばかりでした。また、名古屋出身のわたしは、金シャチが出展されていたのにも驚いて、うれしくなっちゃいました(^^)
以下は、ちょっと堅い話。
日本が最初に万博に作品を出展したのは、まだ幕末の1867年。まだ日本という国としてではなく、江戸幕府・薩摩藩・佐賀藩としてでした。明治維新後は、日本の工芸を世界に知らしめ、殖産興業の方針の中で、工芸作品を欧米に売りこむのが目的で、出展されました。その日本の思惑は当たり、日本の工芸は、世界中で注目を集め、ジャポニズムという動きに繋がっていきます。一方、いち早い産業革命で、近代国家となったイギリスで、最初の万博が開かれましたが、そのことに反発を感じたフランスが巻き返しを図り、やがて世界の芸術の主導権は、フランスのパリが握ることとなります。
やがて、日本の万博への目的は、だんだんと「日本の工芸作品を、芸術として認めさせること」に変わって行きます。しかし、当時の西洋では、絵画・建築・彫刻以外は、芸術とは認められておらず、また、絵画は必ず額装されていなくてはならないと決められていましたので、軸装が中心の日本画は、絵画作品とは認められませんでした。それで、芸術と認めさせるために、日本画をわざわざ額装しなおして出展するという苦心もなされました。そうした苦労の結果、日本の工芸作品は、美術品だと認められるようになります。万博を通じて、美術というものの定義や、流れが、少しずつ変わって行ったとも言えるのかも知れません。
展覧会後半は、万博の中の西洋美術、として、5回のパリ万博にスポットを当てています。当時はパリのアカデミーが認めた以外の画家の絵は、展示することを許されませんでした。それで、人気はありながら、アカデミックではない作品を描く、前衛的な画家たちは、わざと万博会場の近くで個展を開きました。
今は、アートという枠組みが、本当に広く際限がなく、制約もない時代だといえると思います。表現者としては、自由ないい時代かもしれませんが、逆に、制約がない分、何を表現していいのか、とまどうということもあるかもしれません。反骨精神が、よりよい作品を作らせたというのもあるでしょう。画家たちが、体制や制約に反抗し、自分の道を信じて進んで行った時代。もしかしたら、それもまた、古きよき時代だったのかも。そんな風に思ったりしました。
『世紀の祭典・万国博覧会の美術』
2004年7月6日(火)〜8月29日(日)
東京国立博物館・平成館
「弐代目・青い日記帳 」さんの「万国博覧会の美術」