エルミタージュ美術館展

040902hermitage.jpg9/1(木)江戸東京博物館で開催中の『エルミタージュ美術館展』に行って来ました。江戸東京博物館、木曜日も夜8時までやってるんですね。お勤め帰りっぽい方たちで、かなり賑わっていました。

エルミタージュ美術館というのは、ロシアの女帝・エカテリーナ2世が、「隠れ家」という意味の私的なギャラリーを作った事から始まります。それが、今では、一般に公開され、とても一日では回りきれない、「隠れ家」というよりは「迷宮」のようなすごい美術館になっているのです。そのエカテリーナ2世については、「ベルバラ」で有名な池田理代子さんが、婦人公論に、もう20年も前に連載していた劇画『女帝エカテリーナ』で出会い、激しく感銘を受け、アンリ・トロワイヤ氏の原作も読みました。

彼女の生涯は実に劇的で、決して安楽ではなかったのですが、その分、強い意思と、勤勉さで、道を切り開いていったのです。何と言っても、ロシア人の血を一滴も持たない、ドイツ人の彼女が、夫をクーデターで押しのけて、女帝の地位につき、女帝でありながら、ピョートル一世と並んで、大帝に並び称されているのは、いかに彼女が、有能で、素晴らしい、君主にふさわしい女性であったかを物語っています。


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この美術展は、どちらかというと、エルミタージュの名画を鑑賞するというよりは、ロシアを近代国家として発展させた功労者である、大帝ピョートル(ピョートル一世)と、さらに、大国の仲間入りを果たした大帝(女帝)エカテリーナ(エカテリーナ2世)の功績について、見て、学ぶ事のできる展覧会、という印象を受けました。サンクトペテルブルグとは、この大帝ピョートルの名前を取って、「ピョートルの都」という意味でつけられています。(ソヴィエト時代のこの都市の名前・レニングラードは、ロシア革命の指導者・レーニンの名前から取られています)

前半は、「大国への道」ということで、当時のロシアの地図や、建物の外観などのエッチングや、大帝たちの肖像画、そして、エカテリーナ2世については、寵臣たちの肖像画などが見られます。

中盤は、「エカテリーナ2世と宮廷の輝き」ということで、エカテリーナ2世が、即位のときに乗った馬車の複製や、贅を凝らした鍵煙草入れなど、絢爛豪華な、ロシア帝国の宝飾品の数々を見ることができます。エカテリーナ2世は、人に贈り物をするのが好きで、自分の部屋の戸棚に、常にダイヤをちりばめたそうした鍵煙草入れをいくつも用意していたそうです。そんな贅沢をしながらも、エカテリーナ2世は、国民のために多くの改革を行い、農民の負担を減らすようにしました。今でもロシアでは、エカテリーナ2世の時代を、「ロシア国民が一番幸福だった時代」と呼んでいるそうです。

最後に、「エルミタージュ絵画ギャラリー」として、名画を鑑賞することができます。ルーベンスや、ロココ時代の画家の作品など、優美な絵画の世界です。素晴らしい作品もあったのですが、この頃には、わたしは疲れてきてしまってました・・・・絵を見るためには、前半はさっさと流したほうがよいかも。

さて、ここからさきは、ロシアについて。長くなるので、はしょっちゃってください。

ピョートル1世が長い共同統治時代を終えて、ひとりでロシアを治めることになったとき、改革に乗り出しました。彼は、首都をモスクワから、サンクトペテルブルグに移し、ただの野原の広がる田舎だったその町に、立派な都市を作り上げました。そして、貴族たちにひげをそらせ、ヨーロッパ諸国の服装をさせて、ロシアが近代国家になったということを、アピールするようにしました。もちろん、それ以外にも、数多くの改革を行いました。

その後、ロシアは、血で血を洗う歴史を繰り返します。大帝ピョートルの死後、皇后であるエカテリーナ1世が即位、次に息子・ピョートル2世が即位しますが、若くして亡くなります。その後、ピョートル1世と共同統治していたイワン五世の娘、アンナが即位、次に、アンナの姪のアンナの産んだ子が、イワン6世として即位。(このあたりはすごくややこしいですね)次にピョートル1世の娘、エリザヴェータ1世が、クーデターでイワン6世を追いやって即位。イワン6世は幽閉されたまま、復権を企てるものがあれば、殺害せよとの発令のもと、シュリッセリブルク要塞で看守に殺害されます。独身だったエリザヴェータ1世は、ドイツから甥のピョートルを呼び、同じくその花嫁としてドイツからやってきたのが、エカテリーナ2世なのです。

エリザヴェータの死後、ピョートル3世が即位しますが、あまりにもドイツびいきなため、軍隊の不満が爆発、クーデターが起こり、皇后であったエカテリーナ2世が即位。ピョートル3世は、エカテリーナの寵臣に殺されます。エカテリーナの治世は、ポーランド分割(最後はポーランドという国は消滅してしまった)など、歴史的には許されない事もしましたが、それでも彼女は、会場にも書かれていたとおり、「君主としての条件を全て兼ね備えていた」というのは確かで、彼女なくして、今のロシアはありえなかっただろうと思われます。

江戸東京博物館 エルミタージュ美術館展・会期〜10/17(日)
「弐代目・青い日記帳」さんの「エルミタージュ美術館」展
ロシアの歴史
ロシア帝国豆辞典


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