昨夜、テレビで80年代の音楽を一挙に流していた。
とはいえ、深夜枠であったので、我々は81年で早くも挫折した。
81年と言えば、わたしは小学生。いわゆる歌謡曲を、よく聴いた頃だ。
初めて海外の曲の歌詞を覚えたのは、ノーランズの『ダンシング・シスター』
今でも歌えたのには驚いた。(カタカナで覚えたくせに)
そして、81年を代表する曲と言えば『ルビーの指環』だ。
家族が
「大学に入学するのに、兄貴に下宿先まで車で送ってもらう途中、ずっとこの曲が流れてた」
と言った。大学のある町まで、3〜4時間くらいだったらしい。
それくらい流れてたし、みんな聞いてたし、この曲は、今聴いてもまるで色あせない。
本当に名曲なのだと思う。福山くんのカバーもよかったねぇ。
背中を丸めながら 指のリング抜き取ったね
俺に返すつもりならば 捨ててくれ
男の人のやせ我慢が、せつない。
この曲の詩は、松本隆さん。
はっぴいえんど、というのは、実はよく知らないのだけど、この頃(81年)のこの人の活躍ぶりは目覚しく
松田聖子の詩は、ほとんど担当していた。
なんと言うか、小物使いと言葉遣いが巧みで、言葉のマジックみたいだと、子供ながらに感じた。
でも、映画『微熱少年』の映画は見てないのだけど、原作は読んで、がっかりした。
まるで映画になるのを見越したような、場面作りだと感じた。
確か、斉藤由貴の弟が主演したんだったっけ?
それはさておき・・・
詩を書くようになったきっかけも、もしかしたらこの人・松本隆さんだったのかもしれない。
実際に書くようになったのは、もう少しあとで、中学一年のとき。
友達が作曲して、わたしが作詞で、なんてことをしていた。
今は散文なわたしの詩だけど、あの頃は、ちゃんと『韻』を踏んだりしてたし
一番と二番の歌詞がちゃんと対応してて、みたいなのを書いてた。
心理の巧みさを、感情ではなく、小物の動きや、風景で表すような、そんな詩の世界に、ものすごく憧れた。
80年代は、わたしの小・中・高校時代にまたがる。一番多感だった時代。
だからこの頃の音楽の話になると、止まらない。そんな話は、また今度。
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