80年代に捧ぐ

040411cafe1.jpg昨夜、テレビで80年代の音楽を一挙に流していた。
とはいえ、深夜枠であったので、我々は81年で早くも挫折した。
81年と言えば、わたしは小学生。いわゆる歌謡曲を、よく聴いた頃だ。

初めて海外の曲の歌詞を覚えたのは、ノーランズの『ダンシング・シスター』
今でも歌えたのには驚いた。(カタカナで覚えたくせに)

そして、81年を代表する曲と言えば『ルビーの指環』だ。

家族が
「大学に入学するのに、兄貴に下宿先まで車で送ってもらう途中、ずっとこの曲が流れてた」
と言った。大学のある町まで、3〜4時間くらいだったらしい。
それくらい流れてたし、みんな聞いてたし、この曲は、今聴いてもまるで色あせない。
本当に名曲なのだと思う。福山くんのカバーもよかったねぇ。

  背中を丸めながら 指のリング抜き取ったね
  俺に返すつもりならば 捨ててくれ

男の人のやせ我慢が、せつない。

この曲の詩は、松本隆さん。
はっぴいえんど、というのは、実はよく知らないのだけど、この頃(81年)のこの人の活躍ぶりは目覚しく
松田聖子の詩は、ほとんど担当していた。
なんと言うか、小物使いと言葉遣いが巧みで、言葉のマジックみたいだと、子供ながらに感じた。

でも、映画『微熱少年』の映画は見てないのだけど、原作は読んで、がっかりした。
まるで映画になるのを見越したような、場面作りだと感じた。
確か、斉藤由貴の弟が主演したんだったっけ?

それはさておき・・・
詩を書くようになったきっかけも、もしかしたらこの人・松本隆さんだったのかもしれない。
実際に書くようになったのは、もう少しあとで、中学一年のとき。
友達が作曲して、わたしが作詞で、なんてことをしていた。
今は散文なわたしの詩だけど、あの頃は、ちゃんと『韻』を踏んだりしてたし
一番と二番の歌詞がちゃんと対応してて、みたいなのを書いてた。

心理の巧みさを、感情ではなく、小物の動きや、風景で表すような、そんな詩の世界に、ものすごく憧れた。

80年代は、わたしの小・中・高校時代にまたがる。一番多感だった時代。
だからこの頃の音楽の話になると、止まらない。そんな話は、また今度。

hideさんの【私のCDコレクション】 Altogether/The Nolans

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