昨日、社長から電話があった。
実は私、この夏で会社を辞め、めでたく結婚・・・・というわけではなく(笑)
会社を辞めるには辞めるのだけど、そのままフリーで働いて行こうなどと言う、無謀な事に挑戦しようとしているのだった。
まぁ単にフリーになるのではなく、いろいろ布石を敷いて、食いッパグレないようにとは考えているのだけど。 いろいろ声がけしてくださる方もいて、ありがたい限りなのだ。
社長の用件は、後任の人がまだ決まらないので、希望の6月末は無理そうなので、7月まで働いてもらえないか、というもの。とうぜん快諾した。たった一年で辞めてしまうのだから、できる限り譲歩できればと思う。
社長はスピリチュアルな人なのだが、
「陽菜さんには、次のステージが待っているのよね」
みたいなことを言ってくださった。
そういえば先日もある年長の男性に
「あなたはきっと苦労してきているんだと思う。 でもきっと、あなたは年を取ればとるほど、運勢が上がって行くと思うよ」
などと言っていただいた。(根拠のほどは不明だが)
こういう心細い時は、こんな言葉すら大きな後ろ盾に感じる。ホントにそうだといいな。今までだって、特に苦労したとか運が悪かった事はない(と思いたい)けど、これ以上良くなってくれれば、それはやっぱりうれしい。
終わりよければすべてよし。 だもんね。
「謙虚」でありたい 2007.06.01 Friday
NBonline(日経ビジネス オンライン)が毎朝4時頃送られて来ます。けっこうその時間に普通に起きていたりする私。
ちなみにその時間にフジテレビを付けていると、決まって「今お目覚めの方も、これからお休みの方も・・・」と言われて、この時間に目覚める生活にしたい!(いやちょっと早すぎだけど)と心で叫ぶ日々。
話を戻して、NBonlineに連載されているコラム「宋文洲の傍目八目」を軽く楽しみにしています。少し前の記事なんだけど(5/24)ちょっと考えさせられました。
「謙虚」を説く人の「不謙虚」
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謙虚とは行動ではなく心のあり方、「心の習慣」であると。本当にそうです。
社会的な地位を得れば得るほど、謙虚であることは難しいです。実際に心から謙虚であるかどうかをはかるのは難しいですが、表面上だけ謙虚であるのさえ困難です。
「あの人は偉い人なのに腰が低くて控えめだ」などと言われる人は、相当な努力をされているのだな、と思います。たとえどんな立場にいる人でも、謙虚な姿勢を感じる人には、人は敬意を示すものだと思います。
ただ、謙虚が度を越すとて、卑屈になってしまいかねない。そのあたりも難しいのかもしれませんねー。