noppon no kencho san

150624_kencho_sagi1.jpg少しうれしかった話。2年前にWebで連載していた「ニッポンの県鳥さん」というコラムをリンクしてくれている方がいた。こうやって鳥好きさんのお役に立てるのは、とってもうれしい。(左画像はクリックすると大きくなります)

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↑この画像はクリックすると「ニッポンの県鳥さん - 白鷲(シロサギ) -」のページに飛びます。

京都府立植物園めぐり1 京りんたろう
http://blogs.yahoo.co.jp/kyorintarobana/67877322.html


          


フランス人は服を10着しか持たないわけではないが、ジーパンを70円で買っている?!

先日の「父の日と『オリーブの罠』」の考察続き。元々は知人が「最近、着る服がなくて悩んでいる」「何を着たらいいかわからない」とWeb上に上げていることに対して考えてたことだったんだけど、まさに私の考え方は「パリジェンヌ」なのねっ(大喜び)パリジェンヌが70円の古着のジーンズをワゴンから歩って掘って探し当てて買ってるってことだけど、負けてないわ私(笑)。まぁ年齢的には中年なので、そんなことしていちゃいかんのかもしれないけど(笑)

過去にCSのテレビ番組で、オシャレブロガーと呼ばれる人たちと一緒になったことがあった。自分の半分くらいの年齢の子たちだけど、ファッションにかけてるお金は、私の倍以上!カワイイねと褒めると、必ずブランド名が返ってくる謎。でもみじめなんて微塵も思わなかった。ああ、オシャレ=お金かけることとしか思えないんだなぁって。本当に自分の眼で選ぶことが出来ない人たちなんだなぁとしか思えなかった。お金かけて、周りの承認を得ながら、オシャレし続けて行くんだなぁって。本当に好きな服を着る喜びを知らないままで。

そうそう、今現在巷に売っている服(で、自分に購入可能なもの)に、買いたいもの、着たいものが無い、と思うことはあっても、何を着ていいかわからない、と感じたことはない。それは常に自分が自分目線で洋服を選んでるからなんだろうなぁ。もちろんTPOはあるから、私だって冠婚葬祭やそれなりの席でのドレスコードはキチンと踏まえたファッションにはする。けれどそれ以外だったら、好きなものを着ていいんじゃないかって思うんだけどなぁ。。。

以下引用。

日本とパリの「オシャレ」の違い

こうして実際に話を聞いてみると、若いパリジェンヌたちは「お金を使わずにオシャレする」のが上手なことが明らかになってきました。そして20代にもなると、安くて自分に似合うものを見つけたり、オシャレなコーディネートするテクニックに磨きがかかってきているようです。実際パリで一番オシャレ上手なのは、中年以上のマダムです。オシャレの経験が長いだけでなく、お金をかけられる年齢なので、自分のスタイルを知り尽くしてオシャレをしている風格がみられます。まるでそれ以外の服を着ていることが想像できないくらい、服がそのマダムと一体化しているんですよね。

一方、日本人のファッションをみると「服に着られている」風の人がいることに気がつきます。服を着ている人よりも「服」が目立ってしまっている状態です。なぜこうなるんだろう?と考えると、やはり「自分に似合うもの」ではなく「新しくてきれいなもの」「流行のもの」「高級・上質なもの」を優先して選んでいるからかもしれません。つまり自分の基準ではなくて、社会的価値観(世間が間違いなく良いと思う基準)で選んでいるということです。だから自分に似合うかよりも、自分の価値を上げてくれる憧れのアイテムとしてブランド品を買う日本人も少なくないと思います。



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