右のピンクの額は、パッチワークの先生からいただいたものです。クレイジーキルトといって、不規則に切ったものを組み合わせる、ちょっと高度なテクニックが必要なもの。「あなたのイメージで作りました」と言う手紙が添えられていました・・・先生、わたし、こんなにかわいい??(*^.^*)エヘッ
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わたしのエントリーをご覧の方の中には、激しく誤解されてる方もいらっしゃるかもしれないけど、実際、わたしはものすごく不器用なのです。
もう7年も前のことですが、よく覚えています。パッチワーク教室の初回は、本当に簡単なパターンをひとつ完成させて、アイロンがけをする、というところまでだったのですが、生徒20人ほどのうち、アイロンがけまで行かなかったのは、わたしひとりだったのです。。。しかも、わたしは一番前に座っていて、すぐ横にアイロンがあったというのに・・・とはいえ、それほど落ち込んでもいませんでした。だって、こういうことには慣れてるんです。
とにかく、何を始めるのでも、最初は限りなくへたくそなのでした。植物画にしても、チャイナにしても、上手な人は、本当に最初から上手なんですよね・・・でもわたしは、決してそういうタイプじゃありませんでした。最初から見込みがあると思われるような、いわゆる天才肌とは、程遠い、本当に努力に努力を重ねて、ようやく人並みになれるというタイプなのです(笑)
母が器用な人で、洋裁学校を出ていましたので、子供の頃はいつも母の手製の服を着ていました。いつも針を持ってる母でしたので、わたしも割りと幼い頃から針を持つようになりました。フェルトでマスコットを作ったりしたのですが、もうそれはへたくそで、でも、それも自分が子供だからなのだと思っていました。大人になれば、上手になるに違いないと。
でもそれは間違っていました。大人になっても、へたくそなままだったんです。
だけど、それでもわたしは、針仕事が好きなんですよねぇ。まぁ、絵を描くほど日常的にはしませんが、それでも、しばらく縫い物をしていないと、何かしら作りたくなってきます。で、出来上がったものを見て、がっかりもするのですが(笑)そんなわたしですので、パッチワーク教室も、楽しく行っていました。相変わらず、ろくなものはできませんでしたが(笑)、先生も仲間もいい方たちばかりで、楽しくて楽しくて仕方なかったのです。でも、植物画と同じく、引越しを機に、教室をやめなくてはいけなくなったのでした。
その年は、なぜかよく風邪を引いた年で、インフルエンザにもかかってしまいました。一週間ほど寝込んだのですが、何とか起き上がれるようになって、教室のみんながセッティングしてくれた、薬師寺の近くの和食屋さんでの送別会の帰りに、先生から手渡されたのがこれでした。パッチワークキルトの作品作りには、本当に時間がかかります。いつも展示会の作品作りに追われて、お忙しい先生だったのに、わざわざ作ってくださったことに、とにかく感激してしまいました。
ああ、本当に、わたしって、幸せモノですねぇ。