今日は今日のわたし

041110blueberry1.jpg庭のブルーベリーの木が、あでやかな紅葉に彩られ、朽ち果てていった。ちょうど一ヶ月ほど前の写真。自然はなんと見事に、どんな画家の筆もかなわぬような、色彩の旋律を奏でるのだろう。クプカさんの『柿の色』で、空の青と、柿の赤のなんとも美しい写真を見て、そういえば、自分も朝のお散歩の途中に、同じような光景のハッとするような美しさに、ふと涙ぐみそうになったのを思い出した。なんと言うことはない、普通の民家の庭先で、誰に見せようとするだけでもなく、枯れた葉もまばらな木に、つやつやと輝く柿の実。

先日の『サボっています』と言うエントリーに、eteさんから、
感受性が毎年変化しているように思うんです。今年見て聴いて感じる事が来年同じように感じられるか不安になったりします。というわけでやりたいと思った事はその時にやるようになってきました(^^ゞ。
こんなコメントを頂いて、本当にその通りだと思った。たとえばこの柿やベリーの木を、美しいと思えるのは、今日のわたしだからかもしれない。昨日のわたしも、明日のわたしも、同じようには感じないのかもしれない。

そして、昨日のわたし、若いわたしの感性だけが、すべてだとも思わない。

確かに、年を取るにつれて、若い頃のみずみずしい感受性は、どんどん失われていくのを感じる。だけど、年を取ったからこそ、感じることのできるものも、絶対にあると思うのだ。若い頃のわたしなら、色づいた葉や実を見て、涙ぐむことなど、ありえなかっただろうし。年を取ることで、円熟して、より魅力の増すような作品を生み出したいし、人間としてもそうありたいと思う。

日々少しずつでいい。淡々と、何かに向き合える自分でいたい。


#gardening


  •   このエントリーをはてなブックマークに追加  

<< フィレンツェ〜芸術都市の誕生〜展 戻る 村田陶苑展 >>