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今回のマティス展の女性の絵を見て、グッゲンハイム美術館展に出展されているピカソの絵と似てると感じた方は、わたしだけではなかったようで、いろんなBLOGで目にした情報によると、2人は、お互いに刺激し合えるいい友人同士で、このモチーフも、同じテーマで描かれた物だといえるのだそうです。
この二人が、20世紀美術界に与えた功績は非常に大きく、比較される事も多いですが、何となく子供でも描けそうな、単純な線で描かれた絵は、確かに共通するものがあると感じられます。しかし、今回のマティス展のテーマである「プロセスとヴァリエーション」にあるように、一見たやすく描かれたように見られるマティスの絵は、実は長い試行錯誤の末に生まれた作品で、その過程には、さまざまな変化が存在し、最後の作品がその完成ではなく、過程に生まれる、いくつものバリエーションが、それぞれに完成形であるといえるのです。
マティスは、作品のプロセスというものに、多大な関心を寄せていたそうで、描きかけの作品の途中に、写真を撮るということを、1930年代からしていたようです。その頃の個展でも、作品ができあがる過程の作品を全て展示しています。今回の展覧会では、残念ながら、最終工程だけが本物で、残りは写真ですが、最初とは、全然別のものになっていく様子などが、興味深く見られます。
が、しかし、周りの人も口々に言ってて、笑ってしまったのですが「たやすく描けそうって、(場内説明に)二度も書かれてるし・・・どう見ても、簡単に描いてるようにしか見えない(笑)」わたしも、そうとしか見えないのです(ごめんなさい、マティス)でもね、たやすく描いていても、葛藤しながら描いていたとしても、わたしの中のマティスの価値に、何ら変わるものはないのです。
マティスは、人生の素晴らしさや生命の喜びを表現しようとした画家で、もちろん、どんな人間にも悩みや苦しみはあり、どんな人生にも闇はあるでしょうが、あえて、光の部分だけを描こうとしたのだそうです。こうして、葛藤や試行錯誤を公開しながらも、それでも我々は、マティスの絵を見るときに、明るい、楽しい気持ちになれます。それは、マティスの一番の功績だと思いますし、それだけで十分なのかな、と思ったりもします。ただ、葛藤しながら描いてたマティスを知る事ができたのは、よかったなぁ、と思いました。そう言う意味で、有意義な展覧会でした。bonfauteuilさん、どうもありがとう!
美術館案内より
絵とはどのように生まれてくるものなのか、この決して簡単には答えることのできない問題とマティスは真剣に取り組んだ画家であるといってもいいかもしれません。絵とは、あらかじめ画家の頭や心のなかにあった構想(意図あるいは意識)が、単純に絵に翻訳されたものではありません。画家と描かれる対象との対話、あるいは画家と作品との対話など、実際の作画という行為のなかで、ときに画家自身の意識をも超えて生まれてくるものです。描かれている最中に刻々とその表情を変えていく作品は、そのつど画家に問題を投げかけ、画家を試そうとするのだともいえます。このようなある種の葛藤のもとに生まれる作品は、最終的にたったひとつの帰結を持つものとは限りません。主題はさまざまに変奏され、いくつものヴァリエーションを生む可能性をはらんでいるのです。実際、マティスは、同じ主題をまったく異なる表現(より写実的であったりより抽象的であったり)によって表した作品を数多く残しています。