
月曜日の朝、タンスの隅に、たたむとハンカチサイズになってしまうような、ポリエステル素材の紺に白の水玉のワンピースを見つけて、「ああ懐かしい、これ着られるかな」着てみたら、ピッタリジャストサイズ。割と体にぴったりとした作りで、とても着られる状態ではなかったのだが、たたむと小さくなるのをよい事に、まるきりタンスの肥やしと化していた。買ったのは13年前で、着るのは10年ぶりくらい。この空白ってすごい。いかに私が、女としての自分を磨いていなかったかが、よくわかるというもの。
このワンピースを買った頃は、熱烈な恋愛をしていた(と自分では思っている)。先日、手相を見る人(プロではない)に「過去に、大恋愛した?」と聞かれて、照れくさくて「さぁ?」と誤摩化してしまったんだけど「もう一回、すごい恋愛するって出てるわよ~」とある意味、恐ろしい事を言われてしまった。ドキドキするではないか。
火曜日は、なんと19年前に買った紺のギンガムチェックのキャミソールに、15年前に買った麻のショートパンツ。なんと物持ちのよい私。この出で立ちで向かうのは、やっぱりジムしかない。15年前の夏は、実は忘れがたい夏でもある。その頃好きだった男の子の事は、今も懐かしい甘酸っぱい思い出なのだ。結局告白もできないままに終わってしまった恋だった。2年後、彼は私がいつも彼の事を相談していた、年上の女性と結婚してしまったのだ。その頃には、私はもう彼の事は何とも思っていなかったんだけどね。
今にして思うと、彼が私にとって、最後の片想いの相手なんだけど、彼がカラオケで得意だった曲は知っていても、いつもどんな音楽を聴いているのか、何に夢中になっているのか、本当に何も知らなかった。彼とは、一緒に飲んだり、スキーに行ったりしたけれど、個人的に話した事は、最後まで無かったような気がする。そう言う恋について、懐かしいと言う想いはあっても、人はそれほど傷ついてはいないものだと思う。
それなのに、その年上の女性からは、結婚する時に、「ぴぴちゃんには、本当にひどいことしちゃったわ、ごめんね」と泣いて謝られてしまった。彼女を通じて、彼に私の想いは当然伝わっているはずなので、きっとふたりは「ぴぴちゃんを傷つけた分、幸せにならなくちゃね」などと、私をダシに、大いに盛り上がっていたのであろう。人はそう言うシチュエーションが大好きなんだと思う。それで二人が幸せになれると言うのなら、私はダシになろうがブイヨンになろうが、全然かまわないのであった。
ところで、一番上のイラストに、なぜに赤いチューリップが描かれているかと言うと、ある飲み会の時に、彼が突然通りかかった花屋さんで、チューリップを3輪買い、歌と同じ赤・白・黄色の花を、その場にいた女の子3人に渡したのであった。私がもらったのは赤。年上の女性は白。年上の女性に「彼はあなたが好きなのよ。だから赤なのよ」と言われて、うれしかったのに、その花を持ち帰って、家で見ているうちに、なぜか私は泣いてしまったのだった。何か予感めいたものがあったのだろうか。「最後の片想い」いい響きだなぁ。