ムンク展

071215munch1.jpgムンク展に行って来ました。
ムンクと言えば『叫び』がそのままムンクを表すくらい、もはや代名詞ともなっているくらい有名ですが、『不安』『絶望』とともに3部作となっているのは初めて知りました。ポスターの絵はその中の一枚、『不安』です。
《不安》1894年 油彩・カンヴァス オスロ市立ムンク美術館
071215munch3.jpgこれがもう一枚の『絶望』
071215munch2.jpg『叫び』の次くらいに有名だと思われる『マドンナ』
この作品に見られるように、絵画だけでなく額装部分にも装飾を施し、それらをひとつの作品として捉えたものが、今回の展覧会のテーマで、数多く展示されていました。この作品で言えば、絵画部分がマドンナ、絵画と額装の境に胎児、そして額装部分に精子が描かれています。
071215munch4.jpg
《生命のダンス》1925−29年 油彩・カンヴァス オスロ市立ムンク美術館
この絵画と似たモチーフは繰り返し描かれていました。私には、左右の黒と白のドレスの女性が同じ人にしか見えないのです。左から過去・現在・未来だったかな。

071215munch6.jpgおもしろかったのが、マックス・リンデ邸の子供部屋の壁用の絵画で、ムンクに依頼したものの、抱き合う男女の絵などを描かれて
「コレは子供部屋にふさわしくない」
とリンデ氏がムンクに描き直しを命じ、だいぶ明るい色調の多少子供部屋らしいものには仕上がっていましたが、それでも、ムンクに子供部屋らしい絵画を期待すること自体、間違っているのでは?と突っ込みながら見ておりました。

『生命のフリーズ』では、たわわに実る果実を手折ろうとする裸の人物などが描かれていましたが、思わず
「くびれがきれい」
などと口走ってしまい、おやぢっぽさを思いがけず露呈してしまった私。ハズカシや。

また、ムンクは労働者を好んで描いていたそうで、わたしは最初のほうの暗い絵よりも、生命力溢れ、今にも動き出しそうなおじさんたちの絵のほうが好きでした。特に素描は素晴らしい!
http://www.tokyo-np.co.jp/event/bi/munch/itten/20.html


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バカラ!

071205ebisu_gardenplace2.jpg071205ebisu_gardenplace4.jpg071205ebisu_gardenplace1.jpg071205ebisu_gardenplace3.jpg友人の撮った写真が「東京都写真美術館」に展示されていたので、4年ぶりくらいに行きました、恵比寿ガーデンプレイス
ガーデンプレイスのシンボル的なレストラン、ジョエル・ロブション(タイユバン・ロブションだとばかり思っていたら、2004年に閉店したそーな。しかしランチが平日¥8000〜って、どーよ?タイユバンより高いような?)
まわりに白く見える木はオリーブ。夜目に目を凝らすと、黒い実が鈴なりになっていました。

時計広場からセンター広場に下っていく坂道のプロムナードは、シャンパンゴールドの光を浴びたレッドカーペット・・・だそう。

寒くて寒くて、ロマンティックという感じでもなかったですが(笑)
    
そして何がスゴイって、このシャンデリア。
バカラだそうですよっ。

『Baccarat ETERNAL LIGHTS 2007-歓びのかたち- 』を開催
観る人が共に歓びを分かち合える恵比寿ガーデンプレイスのクリスマス

皆さんに幸福を感じとって頂きたいとの想いから、今年のテーマは「歓びのかたち」。
世界最大級のバカラ製シャンデリアや、やわらかく温かみのある色合いで、クリスマスイルミネーションを装飾します。

今年の恵比寿ガーデンプレイスのクリスマスは世界最大級を誇る、バカラ社のシャンデリアの展示をはじめ、外構や各広場など施設全体を、包み込むようなイルミネーション装飾や、マイケル・ジャクソンのアルバム「BAD」のアルバム制作とワールドツアーコンサートを担当したクリストファー・カレル氏の音楽ライブなどを行います!

また12月23日(日)には(財)日本ユニセフ協会が主催する「ユニセフ ハンド・イン・ハンド募金」の中央集会が開催され、芸能界・スポーツ界の著名人が特別ボランティアとして参加します!

■期 間:2007年11月3日(土・祝)?2008年1月14日(月・祝)

◇◇◇クリスマスイルミネーション◇◇◇

■ライトアップ:16:00?23:00(※12月22日?25日は24:00まで点灯

こうして見てもキラキラ。まばゆいばかり。
こんなのの下でダンスなんぞ出来たら素敵だろーなー。でも踊れないしな・・・・と、妄想と現実を行ったり来たりするわたしなのでありました。

お昼に2時間も長居してしまったハワイアンカフェ・コナファームも、同じくらい居着いてしまったパパスカフェも(ケーキがおいしかった♪)居心地よくて、おしゃべりに花が咲いて・・・・

写真も素敵でおもしろくて。相変わらずじっくり見入ってしまい、ヘトヘトだったせいよね、お茶の時間が長かったのは!そういうことにしておこう。

Kちゃん、素敵な写真が見られてうれしかったよ。
これからも応援してるからねっ!


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フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展

071130vermeer.jpg国立新美術館にて開催中の「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」を見に行ってきました。

今回も、タイトルに騙されました(笑)前回も長い長いタイトルだったフェルメール展。いや、フェルメール展、ではないのです。
フェルメールの絵一点と、他の絵画、と言う構成の展覧会。それをきちんと展覧会のタイトルに反映すると、長くなってしまう模様。

ちなみに3年前にブームを巻き起こした展覧会のレビューはこちら。フェルメール『画家のアトリエ』〜栄光のオランダ・フランドル絵画展(2004.6.25)
何だかウンチクタレになっています。全然展覧会の感想になってないじゃん、と思うのだけど、今読み返すと
「なるほど、そういうわけだったのか」
と過去の自分が書いたことで、勉強になったりする不思議(笑)

ちなみにこの頃は、大学の社会人講座で近代〜現代美術について学んでいました。すごくおもしろい講座だったな。美人の先生、お元気かしら。
    
オランダ風俗画の特徴と言えば

風俗画は、人々の日常生活を描いた絵画です。ルネサンス以降の絵画の主流は、聖書や古代神話を主題にした歴史画でした。
しかし、市民たちが政治・文化の担い手となった17世紀オランダでは、従来の歴史画も描かれる一方で、台所や市場で働く人々や、室内で談笑する上流市民など、日常を題材にした親しみやすい風俗画の人気が高まりました。
こうした風俗画は、一見、ありのままの現実を写しとったかのように見えますが、しばしば複雑な教訓的意味が込められており、その謎解きも風俗画の魅力のひとつとなっています。
初期の頃は聖人や神話の人物を描いていたフェルメールも、1656年以降は、主として風俗画を手がけるようになり、室内で歓談したり手紙を読んだりする上流市民の暮らしの情景を、静謐な画面にとらえ出しました。
071130vermeer2.jpgこの解説にあるように、台所で働く女性や市場などの作品が圧倒的に多く、あとは酒場で酔っぱらっていたり、家族の団らんの様子だったりと、時代は変われども、何ら変わることのない普遍的な人間味のある情景を描いていて、とても親しみの持てるものでした。

けれど、ほとんどの絵がとても暗く(実際、台所は暗い場所だったのかもしれませんが)、ろうそくの灯火だけが光源というような作品の見事さに感嘆しつつも、見所『牛乳を注ぐ女』を見た瞬間、ああ、やっぱり、フェルメールは格別だ、と実感しました。

明るいのです。光が、色が、鮮やかなんです。見た瞬間、何とも言えぬ幸福感に包まれるんです。特に女性の衣服の色が光に映えて、何とも言えないまばゆさでした。

たった一点、されど30分の一点であるフェルメール。見る価値のある展覧会だと思います。

オランダ風俗画ももちろん、どれも見応えあります。小品にも、きっちりと魂の宿った粒ぞろいの作品ぞろいです。わたしは特に版画(メゾチント?)が気に入りました。顔が恐くて(笑)

会期は残り少しです。お急ぎを!


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煌めく街を歩く

071130tokyo_midtown02.jpg071130tokyo_midtown01.jpg071130tokyo_midtown05.jpg
東京ミッドタウン。
吹き抜けのこのバンブーを一目見たいと思っていたのです。
夕暮れ時と夜。この日はあいにくのお天気だったけれど、しっとりと濡れた街も、ますます煌めいて素敵でした。

071130tokyo_midtown03.jpg071130tokyo_midtown04.jpg
むかいのコーヒーショップの二階から。
ぽかぽかあったまりながら、街を眺める、至福のとき。

071130tokyo_midtown06.jpg071130tokyo_midtown07.jpg
夜、通りを挟んでミッドタウンの反対側には、夢のような幻想世界が広がっていました。
ちかちかと色を変えながら瞬く塔。

071130tokyo_midtown08.jpg中にはやさしい音楽が流れて・・・

071130tokyo_midtown12.jpg
東京タワー。
こちらに住んで、随分経つのに、いまだ位置関係があやふや。六本木の近くに東京タワーがあるのが、どうも馴染めません・・・たまには地図でも開いてみようかな。

071130tokyo_midtown14.jpgこの画像だけ、六本木ヒルズのもの。ミッドタウンにおされたのか、ヒルズのイルミネーションは、ちょっとおとなしめ。クリスマスらしい赤が気に入った一枚。たくさんプレゼントが積み重なってるみたいでしょ?
    
071130tokyo_midtown09.jpg
さて、ミッドタウンに戻ります。
まるで海のような青が広がって、目もくらむ素晴らしさ。
写真にも撮らず、うっとり歩いていたけれど、この左奥が、イルミネーションの遊歩道になっていて、とってもロマンチックでした。

071130tokyo_midtown10.jpg071130tokyo_midtown11.jpg
東京タワーを写したのと同じ歩道橋より。上から見ると、流れ星が何度も流れるんです。
途中、仕掛け花火のように、流星群がたくさん流れて・・・ちょうどその大きなのが見られて、ラッキーだったわたしたち。(写真には撮り損ねましたが・・・見られただけで十分♪)

ミッドタウンのイルミネーション、ほーんと素敵です。おススメ♪


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フィラデルフィア美術館展

071124philadelphia01.jpg12月に会期が終了してしまう美術展が多過ぎて
今日は梯子だっ!とバタバタと上野の森から都美へ移動。
途中通りかかった西洋美術館の『ムンク展』にも心ひかれつつ。

ポカポカと温かく、上野公園はお散歩日和でもありました。
    
とっても濃いシャガール展のあとは、ヨーロッパとアメリカの近代美術を
ザッと流れを追いながら観賞。
巨匠の作品がいっぱい。贅沢すぎる展示です。

しかし、みんなは知らなかった。
巨匠が屋台でたこ焼きを焼いていたことを。

071124philadelphia1.jpgピカソです。
『自画像』(1906年)です。

もうわたしたちには、彼がテキ屋のあんちゃんにしか見えません。
たこ焼きでなければ金魚すくいでもいいです。

罰当たりでスミマセン。

(この頃のピカソはアフリカンアートに影響を受けていて、
自分を黒人風に描いたのだそうですが)

071124philadelphia2.jpgお口直しに、ピカソのキュビズム時代の絵を。

『三人の音楽師』(1921年)
どんどんスタイルを変え、現状に満足することなく、生涯自分の芸術世界に
挑戦し続けていたピカソですが、その中でも、キュビズムはピカソらしさを
いちばん表していると言えそうです。
わたしは初期の具象画も好きなんですが(バラ色の時代など)キュビズムは
おしゃれですよね。
赤が効いてるなぁ。今回は本当に『色』の気になる展覧会でした。

071124philadelphia3.jpg
『睡蓮、日本の橋』モネ(1918-26年)
モネと言えば睡蓮。モネと言えば印象派。
しかしこの絵はどう目をこらしても、睡蓮がどこにあるのかよくわからず。
印象派を代表するモネとルノワール。ルノワールは晩年、印象派らしさから
脱却したことを、以前ブリヂストン美術館で知りましたが、モネもやはり
晩年はこのように抽象絵画を思わせる画風へと移行して行ったのだそう。
しかしモネの色は本当にキレイ。
世の中の美しさをきっと彼は画布にとどめずにはおられなかったのでしょうね。

071124philadelphia4.jpg『オーギュスティーヌ・ルーラン夫人と乳児マルセルの肖像』(ゴッホ)
(1888または1889年)
そして色が美しいと言えば、ゴッホ。黄色と赤とグリーンと・・・・
鮮やかな色ばかりで構成されてもうるさくないのはなぜ?
暗い中にアクセント的に色を使う絵の多い中で、いさぎよいほどに鮮やか。


そして、まだ展示が半分残っているにもかかわらず、残り時間があと20分。
あせって、アメリカのアートはとばしとばし見てしまいましたが
オキーフとワイエスだけは、じっくりまったりと観賞。

最後の↓教授の解説にもあるけれど、この展示は最後のワイエス以外は全部油彩。しかしそんな中ワイエスのテンペラってのは相当イカしてます。
中世の画法でありながらアメリカの現代美術のワイエスの得意とする画法。油彩ほど重くなく、水彩ほど軽くなく・・・・
ワイエスの作品でこんなに人がたくさん描かれているのを見たのは初めてでした。(画像がないのが残念)


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生誕120年記念・色彩のファンタジー・シャガール展〜写真家イジスの撮ったシャガール〜

071124chagall.jpg三連休のど真ん中、秋晴れの気持のいい日に、上野の森美術館で開催中のシャガール展に行ってきました。

上野の森は、ちょうど一年前(2006.11.22)にダリ展に来て以来です。2004年に狂ったように美術展に脚を運んで以来、尻すぼみにどんどん脚を運ぶことが少なくなって来ているのですが、今後また絵を見る機会が増えそうな気がしています。

シャガールと言えば、幻想的で、ちょっと怖い感じのするのがわたしの持っていたイメージです。しかし今回の展覧会で、画材によって随分印象が変わるんだなぁ、と思ったのがいちばんの感想。

071124chagall1.jpg
『ダフニスとクロエ』1961年
シャガールと言えばリトグラフ。その中でも最高傑作と言われているシリーズ。版画ではありえない多色遣い(60色だっけ?)の色鮮やかなもの。
071124chagall2.jpg071124chagall3.jpg
『花嫁の回想』1979年 / 『毛皮襟の女』1934年
油彩はくっきりと色濃く、シャガールの幻想世界をより際立たせます。この辺りの絵を見ると、ちょっと怖いと言う印象を抱いてしまうのです。しかし初期には右のような作品も残しているのですね。
この絵を見てすぐにシャガールだとわかる人はいるのでしょうか。普通にうまいよね、と言い合いつつ通り過ぎ。

071124chagall4.jpg『ポエム』より 1968年
今回の発見はシャガールの木版画。
まさかこんなにユーモラスで楽しい世界だとはっ。リトグラフに比べると、色合いもはっきりとしています。そしてこのまるでおとぼけなキャラクターちっくな動物はナニ?見た瞬間、友人とともに笑ってしまいました。
そして部屋に唇がぽっかり浮かんでる絵を見て、わたしが友人に
「わたしの唇だけが、こんなふうに訪ねて来たらどうする?」
と尋ねると
「きちんとおしゃべりしてお相手するけど、耳が来てないから、一方的にしゃべっていそう」
「そっか、耳がいないから聴こえないんだ」
「そうそう」
わたしのバカな質問にちゃんと答えてくれる友人に感謝。

シャガールは初期には銅版画を中心に制作していたようで、ものすごい数が展示されていました。最初はまったりと見ていたのですが、ふと先を見るとあまりの数に
「ちょっと休憩しようか」
と椅子に腰掛け。最初に時間を取られすぎて、最後はちょっぴり駆け足に。

とっても楽しく満喫できた展示でした。時間配分考えたほうがよいかも、だけど、結果的には好きな絵は最初のほうに集中していたので。まぁよかったかな。

シャガールの絵画には、鳥がよく出て来るのも、わたし的には萌え。ミュージアムショップで、ブローチを衝動買い。今日の記念に。それほど楽しい一日でした。


展覧会INDEX
    
    
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【ライブ】みうらじゅん×リリー・フランキー トークライブ

明治大学の学祭の講演会に、ひょんな事から行く事に。
手に入れたチケットは、ホントは¥2500なんだけど、学内販売分なので¥2000。超ラッキー。    
   
話の内容は、ここにはとても書けません。てか、自粛します。アダルトカテゴリに入れられたら困るし。
先日の吉井ライブでも、吉井さんは何度も「すみませんね、カップル向けじゃない曲ばっかで」と連発していたが、この講演会も、カップルじゃ無理。
最後に明るくなってから、おふたりは「あ、けっこう女の子いたんだね。申し訳ないね」と言いながら去って行った・・・。

書けないと言いつつ、ちょろっと書いてみると、どうやらみうらさんは、男子だけで飲むと、全裸になったり、お互い見せっこしたり、露天風呂でリリーさんとお互いのパーツを褒め合ったり、意外と男子との交流を大事にしてるらしい。

(見せっこししていて、その場にいるメンバーのだけでは物足りなくなり、ピザの出前を取って、出前に来たバイトくんにも見せてもらったことも。そこで見せたバイトくんは大物だ。みうらさんも彼に「キミは社長になれるよ」と言ったとか)

某大御所(お昼の番組で有名なひと)も「オレはモテるのあきらめたから、今後はいかに女になるか」と言っておられるということで、みうらさんもリリーさんも、同じ方向を目指している・・・・のか?(笑)


さすが伊集院光との共著で『D.T.』という名著を生み出してるみうらさん。(『D.T.』とは童貞の事)童貞臭さの大切さについて切々と語っておられた。

明大学祭の小冊子¥100に、お二人のインタビューが載っているのだが、そのインタビュアーがとても童貞臭かったそうで
「スーツの袖が長くて、ズボンの裾は短いんだよね」
という、わかったようなわからないような定義にまず爆笑。

そう、話のスタートはここからだった。

みうらさんは、京都から東京に出て来るまで童貞を守って来たので、京都に帰ると、今でも(ココロが)童貞に戻れるのだと言う。故郷なんてなくていいけど、行けばいつでも童貞に戻れる場所があるっていいよ、とゆるく説く。(そう、彼は力説なんてしない)
対するリリーさんも、自分は九州には関係を持った女が誰もいないので、いつでも何の後ろめたさもなく大手を振って帰る事ができる。コレは素晴らしい事だと、笑顔で語る。

みうらさんは、パレットの講師でもあるので、昨年は授業でお話を伺った。と言っても、スタイルは一人トークショー。しかし、パレットの学生は9割が女性だし、原田治さんも一階で聞いているので、さすがにシモネタには走れなかったらしく、おもに仏像とヤンキーの関係とか、軽くアートについてなどを語っていたように思う。

同志社大学へは出入り禁止となったみうらさん。それでもこのライブは彼とリリーさんの真骨頂だったのではなかろうか。
奇しくも「ミラクルタイプ」も終わっちゃって、リリーさんのコメントも聞けなくなってたところだしね。

慌ただしい毎日の、一服の清涼剤となったライブでした。


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旧古河庭園のバラ & 10/26(金)イギリス行きたい病

6905.jpg6923.jpg6910.jpg6934c.jpgバラの名所としても有名な旧古河庭園に行った。
絶好の行楽日和に恵まれ、駒込でランチしたあとは、六義園のあたりをのんびり歩きながら庭園に向かった。

ちょうど今旧古河庭園ではバラフェスティバル開催中という事で、洋館芝生広場ではジャズコンサートが開かれていたのでした。開始15:00の10分前に到着して、なかなかいい席(日陰)に着席。
    
入り口でプログラムを渡された曲はこちら
1.STAR DUST
2.ALL OF ME
3.I WISH YOU LOVE
4.THE ROSE TATTOO
5.黄昏のビギン
6.AS TIME GOES BY

実際の曲目はこちら
1.AMAPOLA
2.AM I BLUE
3.YOU'LL BE SO LOVE
4.SMILE(CHAPLIN作曲)
5.恋の面影
6.かもめはかもめ
7.I'M WAR?
Encore
8.FLY ME TO THE MOON


もうこれだけ曲目が違うと、プログラムを渡す意味がないのでは?と思ったけど、どの曲も素晴らしく、晴天の空で気持よかった。こんなに素敵な時間を過ごせて¥150なんて!!素晴らしすぎます。
「¥300くらい払ってもいい」とワタシ。その中途半端な金額に、一緒に行った友達が大ウケ。

小松みゆき(ボーカル)・志村洋一(ベース)・西村俊哉(ギター)・野村綾乃(ドラムス)

友達が撮ってくれた改心のショットはこちら
気持のいい休日。最高の一日でした。

6907.jpg6913.jpg6919b.jpg6931b.jpg6932.jpg6924b.jpg6928.jpg


              


071103england.jpg10/26(金)
ワタシの絵にはおいしそうなパンやスイーツがよく登場するので、「おフランスに行って来てみてセボン♪」と言われる事が多いのだシルブプレ。

しかし今の気持はアリスアリスアリス。大英帝国に恋い焦がれて久しい。DM制作後、まるまる一ヶ月まったく何もできなかった展示会の準備。いい加減取りかからねば。

たとえばお弁当でも、バランスよくいろんなおかずを食べながら、箸を進めて行くヒトもいるが、ワタシは一品ずつ攻略するタイプ。同時進行は大の苦手。コレも男脳ゆえ?

旅行も何カ国かを駆け足でめぐるのはダメ。一箇所を極めたいのだ。


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ダルジェル兄弟

071010dalziel_brothers.jpgダルジェル兄弟 The Dalziel Brothes
ジョージ(1815-1902)、エドワード(1817-1905)ジョン(1822-69)、トーマス(1823-1906)のダルジェル4兄弟は、英国ヴィクトリア時代中期を代表する木工木版の彫版師である。

・それまでの鋼版ではなく、木工木版の版木に彫り込んで凹版をつくる(エングレーヴ)彼らの技術は、従来よりも手の込んだものだった。

・1855〜75年がピークで、その20年の間に、数多くの傑作絵本の版木をつくりあげた。
『ノンセンスの本』(エドワード・リア 1861年)
『不思議の国のアリス』(ジョン・テニエル 1865年)
ジョージマクドナルド作品のアーサー・ヒューズの絵
ジョージ・クルックシャンクの描いた妖精物語の絵 など

・1863〜65年にかけて、ダルジェル版『アラビアン・ナイト』をてがける。有名画家の挿絵200点以上を収めたもの。主な画家はテニエル、ジョージ・ピンウェル、アーサー・ホートン、ダルジェル兄弟のトマスやエドワードの絵も収められている。当初は分冊形式だったが、1865年に2巻本にまとめられてウォード・ロック者から出版された。

・彼らが後世に残した仕事は、19世紀の挿絵画家にとって、きわめて大きな意義を持つことになる。

・彫版以外の仕事
『天路歴程』(1865年)(ト−マスによる挿絵)
『ファン』や『ジュディ』『フッドのコミック・マニュアル』などの雑誌に寄稿(ジョージ)
『ダルジェル兄弟』(1901年)(ジョージ、エドワード著。自分たちの業績を残したもの)  

参考:<子どもの本>
黄金時代の挿絵画家たち(リチャード・ダルビー・著/ 吉田新一・宮坂希美江・訳 2006 西村書店)


          


おまけ「右脳派?左脳派?」

3秒でできる右脳派・左脳派チェックだそうです。情報元が不適切なサイトに変わっていたので削除しました(2008.10.4)

071011braintest4672.gif
ダンサーが時計回りに踊ってるように見えたら右脳派。反時計回りに踊ってるように見えたら左脳派。

ワタシはどう目をこらしても、時計回りにしか見えなかったです。ワタシにこれを教えてくださった頭脳明晰な左脳派風の方もそうだったそうで。でも作った人たちには反時計回りに見えるんだそうな。

みなさまはいかが?


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ジョン・テニエルと『アリス』を描いた画家たち

071009alice.png
ジョン・テニエル(John Tenniel)1820年2月28日 - 1914年2月25日
『不思議の国のアリス』の最初のさし絵を描いたことで、あまりにも有名な挿絵画家。ヴィクトリア時代を代表する風刺漫画家でもある。
『不思議の国のアリス』から、「アリスのお茶会」

071009tenniel1.jpg 071009tenniel4.jpg
左/「Punch」掲載の風刺画(1862)
米国大統領リンカーンの顔をしたアライグマが、英国人に木の上に追い立てられている。この風刺画が、右の『不思議の国のアリス』の チェシャ猫をアリスが見上げる絵の原形になったと言われている。

■経歴
・1820年2月28日ロンドン生まれ
・英国美術院に入学するが、間もなく学校を退学、絵画はほぼ独学で身につけた。
・1836年、16歳で最初の油彩画をイギリス王立美術家協会の展覧会に出品。
・1840年、20歳のとき、フェンシングの教官だった父とフェンシングをして、右目を失明。
・1845年、25歳のとき、ウエストミンスター宮殿の壁面のデザインとして、16フィートもの風刺漫画を出品。その年に開催されたコンテストの公平性を揶揄した。これがきっかけで、イギリス貴族院の詩の広間のフレスコ画の依頼を引き受ける。
・1850年、30歳のとき、リチャード・ドイルが『パンチ』誌を辞すると、編集主幹マーク・レモンの招きに応じ、ジョン・リーチとともにその後任に収まる。
・テニエルの作風はリーチの作風とよく似ていた。リーチ亡き後は毎週、主要な政治風刺漫画をひとりでこなし、1901年に81歳で引退するまで、約50年の間『パンチ』誌や特集号などに2000点以上の風刺漫画やカットを描いた。
・1893年、73歳で英国首相グラッドストーンに推挙されて、ナイト爵に叙された。商業イラストレーターとしては初の栄誉。
・1914年、3日後に94歳の誕生日を迎える2月25日に世を去る。

■画家としての才能
・画家のチャールズ・キーン(1823-91 英国の有名な絵入り新聞『Illustrated London NEws』の専属挿絵画家としても活躍)と早くから親交を結び、風刺画に素晴らしい上達ぶりを見せる。
・抜群の観察眼の持ち主で、モデルを一切使わず、想像力や記憶力をもとに片方の目だけで驚異的な数の作品を描き上げた。

■風刺漫画家と挿絵画家を両立
・『ウンディーネ』『子どもの歌と絵の本』挿絵(1846年)
・『イソップ寓話集』(1848年 挿絵100点)
・『ララ・ルーク』(1861年 トマス・ムア 挿絵69点)
・『アラビアン・ナイト』(1863-65 ダルジェル兄弟)
・『不思議の国のアリス』(1866年 ルイス・キャロル)
・『鏡の国のアリス』(1872年 ルイス・キャロル)

■『不思議の国のアリス』のエピソード
・作者のルイス・キャロル(チャールズ・ドジスン)は最初、『アリス』の挿絵をウォルター・クレインに頼むつもりだった。しかしクレインの予定が立たず、テニエルに依頼することに。
・キャロルとの仲はよくなかった。理由として、キャロルの注文が多く、描き直しを迫られるたび、テニエルがそれを全面的に受け入れたため。
・普段はモデルを使わないテニエルに、キャロルは「アリスに似た子ども」をモデルに絵を描かせ、できあがった挿絵は酷評される。
・「蝋人形のよう」「大人子どものよう」と酷評されたアリスだが、多くの画家の描いたアリスの中で、今でも一番の人気を誇る。
・『不思議の国のアリス』(1865年)の初版本は、テニエルのクレームにより発売中止に。(現在この本は高値がついている)
・テニエルが許可して再発売されたのは、1865年11月(奥付は1866年)
・仲が良くなかったにもかかわらず、キャロルは続編『鏡の国のアリス』の挿絵もテニエルに依頼。ライオンやユニコーンを政治家に似せて軽く風刺を盛り込む。テニエルは白の騎士にそっくり。
・長生きをしたので、1907年『不思議の国のアリス』の著作権が切れた後、多くの挿絵画家の描いた『アリス』をたくさん目にすることができた。

071009tenniel2.jpg 071009tenniel3.jpg
ディケンズ「憑かれた男」(1848)/「エドガー・アラン・ポー詩集」(1858)

参考:連想美術館
<子どもの本>黄金時代の挿絵画家たち(リチャード・ダルビー・著/吉田新一・宮坂希美江・訳 2006 西村書店)


          


071009lewis_carol.jpg『不思議の国のアリス』といえば、テニエル、もしくはディズニーのイメージがとても強いですが、実はものすごくたくさんの挿絵画家やイラストレーターが描いています。

上のイラストは、作者のルイス・キャロル自身が、アリス・リデルへのプレゼントに自分でイラストをつけて仕上げたもの。なかなか味わいあるイラストです。最初は『不思議の国(Wonderland)』ではなく『地下の国(Underground)』だったのです。

意外なところでは、『ムーミン』で有名なトーベ・ヤンソンも描いていたりして、驚きます。なるほど、アリスの中にムーミンが息づいています。

日本でもいろんな方が描いてらっしゃいますが、ちょっとアバンギャルドなイラストレーターを取り上げてみました。金子國義さんはパティスリー『クイーンアリス』のイメージイラストも手がけてらっしゃるので有名ですね。宇野亜喜良さんのは、他のイラストも見ましたが、アリスがほとんどヌード(!)で、すっごくエロティックなところが宇野さんらしくて素敵だったりします。

そんな作品が続きから見られます。

     
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