アリス展にお越し下さった方で、芳名帳に住所をご記入くださった方にお送りしたお礼状。このイラストでブローチも作りました。
イラストレーターはどんな仕事かと言われれば「絵を描く仕事」だと答える。でも実際には仕事のうちで賞味絵を描いてる時間に対して、営業に割いてる時間がかなりの割合を占めているわけで。営業が上手いと言われるわたしだけど、意外と売り込んでいる訳でもなく、ただ何となく人の集まるところに顔を出し、楽しく過ごすうちにそれが仕事に結びついているというだけ。それが営業と呼べるなら、そうなのかもしれないけれど。今年はそれだけでは行けないと思い、ひとつ頑張って積極的な営業を始めてみようと思うのだ。
◇セルフ・プロモーションに当たっての注意点◇
○Yes/Noのボーダーラインを決める
○くじけない精神力を持つべし
○自信のなさは命取り
○否定はせずに本音でトーク
○諦めることで、次へ進める
○スキルを持っていても、自分のウリを的確に相手に伝えないと薄い印象に
○相手の仕事などの感想は、できるだけ具体的にアピール
○自慢とアピールのさじ加減を
○自分のウリは強引さにでも話を広げる
○イケてる部分とイケてない部分を知る
○売り込みポイントを絞る
○ゴールのない人はゴールのある人に使われるだけ
○成功した姿を思い描くポジティブシンキング
○アイコンタクトは貴重な情報源
○状況を見て柔軟に
○「でも」「いや」「ていうか」などの否定言葉はNGワード
○大切なのは”前向き””熱心””積極性”
【アリス展】お礼状〜セルフ・プロモーションしてみる
薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木/江國 香織
2000 集英社江國 香織
一年くらい前に読んだ本。『東京タワー』の後に。タイトルと装丁にひかれてしまったのだった。
こういうのを群像劇というのだろうか。最初は無関係に物語の進んで行った人物たちが、そのうち意外な接点でつながれてゆく。花屋を訪れる優雅な主婦と、同じく花屋に子連れで訪れる主婦の夫とは不倫をし、優雅な主婦の友人の夫と、子連れの主婦と顔見知りのモデルの女性は不倫をしている。
出て来る女たちはみな愚かだと思う。花屋の女主人は、長年連れ添った夫と一方的に離婚しておいて、一人暮らす事の孤独感に押しつぶされそうになる。花屋の女主人と優雅な主婦の共通の友人で、キャリアウーマンの女性は、やたらホームパーティーを開き、そこに呼んだ若い女の子と夫が不倫してしまう。キャリアウーマンなんだから、家事など手を抜けばいいのだ。何もかも完璧な女って息苦しい。そんなこととは関係なく、夫はアホな浮気性なんだけど。で、けっこう本気だったモデルの女の子は、勝手に彼との間に子どもを作り、一人で産むと言って去って行き、全然好みじゃない妻の会社の女の子と出来心で関係を持ったために、妻にモデルの女の子との関係までばらされてしまい、妻に三行半を突きつけられておたおたする。アホだ。この夫婦は救いようのないアホ。
そんな中、優雅な主婦だけは、夫にたっぷり愛情を受けながらも、年下の妻子持ちを翻弄し、罪の意識もなく不倫を楽しむ。この人は『東京タワー』の詩史と同じタイプだと思うが、一番嫌いなタイプだ。素敵な恋をしている人が、一組くらい出てくる、救いのある話にして欲しかった。
◆追記(2008.5.15)
・・・とここで、ラストの方で、新しい恋の芽生えが描かれていたのを私は見逃していたかも。優雅な主婦の過去の恋人で、優雅な主婦の妹の長年の想い人である医者と優雅な主婦の妹の会社の先輩で酸いも甘いも嗅ぎ分けた大人な女性。(↑ややこしいな)
もしかしたら、江國香織自身も、彼らを滑稽だと思っている桜子に、自分自身を投影しているのかもしれない。広尾に住む絵に描いたようなセレブたちの空虚な生活。若さ故に無鉄砲な桜子もまた愚かな部分もあるけれど、若いうちには誰もが通り過ぎるひとつの通過点なのだと思う。
眠れるラプンツェル/山本文緒
いつも強く共感できる山本作品の中でもピカ一に感情移入できる作品。
28歳の人妻が13歳の中学生に恋なんて、到底考えられない設定だけど、それだけ主人公の孤独の闇は深かったという事なのだと思う。
女性がただ家にいて、寝食に困らなければシアワセなんだと、そんな考え違いをしている男性は未だ多いのだろうし、そこにつけ込んで惰眠をむさぼる女性もまた多いのも事実で。
自立しないでいる事が、妻の座を守る唯一の手段だなんて悲しすぎる。そんな「妻の座」なんてくれてやるわい、と座布団を蹴飛ばしてやりたい。私は私として生きていきたい。
(読んだのは多分2年ほど前。これと『そして私は一人になった』は、読んでて切なかったなぁ)
ジャスコとユニーをハシゴして
そんなわけでブロスネタ(笑)ちと古いブロスだけど、資源ゴミに出す前に、最近になってから隅々まできっちり読んで気づいたのだった。
この表紙のイラストはプラモデルの箱絵で知られる、ボックスアートの第一人者(いろんなアートがあるものだわ)故・小松崎茂先生(1915〜2001)が描いた「空飛ぶジャスコ」の絵なんだそう。
で、それがナニ、と言いたいでしょう。そうでしょうね。これは実は東海地方で最大級を誇る「イオンモール岡崎店」(当時はイオン岡崎ショッピングセンター)のオープン記念ポスターとして描かれたものなのだそう。
てか、正月わたしここに行ったんですよ!!(いや年末だったかもしれないけど)それがうれしかっただけなんですよ、ごめんなさいね。
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この表紙のイラストはプラモデルの箱絵で知られる、ボックスアートの第一人者(いろんなアートがあるものだわ)故・小松崎茂先生(1915〜2001)が描いた「空飛ぶジャスコ」の絵なんだそう。
で、それがナニ、と言いたいでしょう。そうでしょうね。これは実は東海地方で最大級を誇る「イオンモール岡崎店」(当時はイオン岡崎ショッピングセンター)のオープン記念ポスターとして描かれたものなのだそう。
てか、正月わたしここに行ったんですよ!!(いや年末だったかもしれないけど)それがうれしかっただけなんですよ、ごめんなさいね。
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ある男友達と飲んだ時の事。彼にはちょっとカリスマ的な魅力があって、いろんなイベントを開催するのに多くの人を集める力のある人なのだけど、初対面の胡散臭い(笑)印象とは違い、けっこう「誰でもオッケー」な人で、気遣いの人でもある事に、話して見るとすぐに気づく。
しかし彼が言う。「オレと気が合うのには、共通点がある事に気がついたんだ」
「てか、ひよこってさ、『タモリ倶楽部』好き?」
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しかし彼が言う。「オレと気が合うのには、共通点がある事に気がついたんだ」
「てか、ひよこってさ、『タモリ倶楽部』好き?」
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パキスタンのブッダ
一年ほど前に上野の国立博物館に仏像展を見に行った時に、企画展の和の清々しいブッダにたくさんお会いした後に遭遇した東洋館(常設)の西アジアのブッダたち。写真整理していたら出てきたので、何となく載せてみる。パキスタンのガンダーラがルーツなので、ガンダーラ仏と呼ばれているそうだ。ガンダーラと言えば、西遊記のテーマソング。永遠のユートピアはパキスタンにあったのですね。
恐れ多くも言われて頂けば、濃い顔をしてらっしゃいます。しかし、そもそもブッダはこの辺りのお国のお生まれなのだから、実際は我々に馴染みのあるあのお顔ではなく、こちらに近かったのでしょうね。左二体は悟りを開かれた後の如来形(*)。日本の如来と違い、顔が派手なだけで、装束が地味でもこんなにきらびやか。右は悟りを開く前の菩薩形(*)。王子様の装束を身につけてらっしゃるブッダ、しかも男前。素敵過ぎです。ブッダというよりは、踊るマハラジャに出てくる俳優と言っても過言はないくらい。(インドはヒンドゥなのでちと違うかもですが)お腹周りがややメタボ?に見えるのが気がかりですが。
菩薩=悟りを開く前の釈迦(ゴータマシッタルダ)。王子の装束なので、装飾がたくさんできらびやか。如来につかえる。
如来=悟りを開いた後の釈迦(ブッダ)。乞食と取り替えたボロを身につけている。仏の最上位。
1日に10個モノを捨てる
これが今年の年賀状です。大満足とも言えないけれど、まぁまぁかな、と言う感じの出来映え。今現時点でのわたしらしいといえばわたしらしい。まぁ現状に満足していないのだから、満足できないのは当たり前なのだけど。でもね、アイディア自体は気に入ってます。ホントはチーズ好きなんですけどね。うふふ。
仕事柄、周りには著者さんやライターさんが多いのだが、モノを書く人の日記はおもしろい。この時期皆がいろんな目標や抱負を語ったりするのだが、ひとりの人は、もう「運転してくれる男の人を待つ」のではなく「自分が運転できるようになって、男の人をドライブに誘える女になる」と言う目標を立てたそうで・・・うーん、ステキ、と思う。
とはいえ、わたしがたとえペーパードライバーを返上しても、誰も助手席に乗ってはくれなさそうだから、いいんだ、わたしは。フットワーク軽く電車でどこにでも一緒に行ける相手がいればそれで。って、そんな相手はいるのでしょうかねぇ。
別の人は、一日に10個モノを捨てることに決めたのだそうだ。最近は掃除や物を捨てると開運する、なんて本がブームだけど、どうもどの本を読んでもスッキリしなかったその方は、その手の本に書かれている「一日3個モノを捨てる」くらいでは生温いのでは?という事に気づく。それで思い切って10個にしてみたら、これがすこぶるいいのだそうだ。捨てる10個は何でもいい。着古したTシャツでも描けなくなったボールペンでも、なんでもいい。
わたしの部屋は一日100個くらい物を捨てねばすっきりしなさそうにモノにあふれているけれど、1ヶ月くらい捨て続ければ、スッキリしそうに思う。ますは捨てるものの中に、脂肪、というのも加えておきたいものだ。
仕事柄、周りには著者さんやライターさんが多いのだが、モノを書く人の日記はおもしろい。この時期皆がいろんな目標や抱負を語ったりするのだが、ひとりの人は、もう「運転してくれる男の人を待つ」のではなく「自分が運転できるようになって、男の人をドライブに誘える女になる」と言う目標を立てたそうで・・・うーん、ステキ、と思う。
とはいえ、わたしがたとえペーパードライバーを返上しても、誰も助手席に乗ってはくれなさそうだから、いいんだ、わたしは。フットワーク軽く電車でどこにでも一緒に行ける相手がいればそれで。って、そんな相手はいるのでしょうかねぇ。
別の人は、一日に10個モノを捨てることに決めたのだそうだ。最近は掃除や物を捨てると開運する、なんて本がブームだけど、どうもどの本を読んでもスッキリしなかったその方は、その手の本に書かれている「一日3個モノを捨てる」くらいでは生温いのでは?という事に気づく。それで思い切って10個にしてみたら、これがすこぶるいいのだそうだ。捨てる10個は何でもいい。着古したTシャツでも描けなくなったボールペンでも、なんでもいい。
わたしの部屋は一日100個くらい物を捨てねばすっきりしなさそうにモノにあふれているけれど、1ヶ月くらい捨て続ければ、スッキリしそうに思う。ますは捨てるものの中に、脂肪、というのも加えておきたいものだ。
浅草寺にて
週末は浅草寺に初詣。元旦は激混みですが、6日ともなると、ちょっと落ち着いて。既視感の写真。2005年にも似た写真を撮ったような。そーか。もうアレから3年になるんだ。早いなぁ。それでもブログをチマチマ続けているわたし(2003年からですもんね)。よく飽きないものです。
青空にお飾りが映えます。初詣がよい天気に恵まれると、よい一年になる・・・そんな気がしませんか?何はともあれ、みなさま、今年もワタクシとワタクシのイラストと
そしてこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
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青空にお飾りが映えます。初詣がよい天気に恵まれると、よい一年になる・・・そんな気がしませんか?何はともあれ、みなさま、今年もワタクシとワタクシのイラストと
そしてこのブログを、どうぞよろしくお願いいたします。
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御千代保稲荷参拝
最終日4日は、御千代保稲荷に初詣に行きました。「おちょぼさんに行くよ」と家族に言われ「わたしって行った事あるの?」と尋ねると子どもの頃に行ったのだとか。まったく記憶にありません。
名古屋時代の初詣は圧倒的に熱田神宮。それに犬山や伊勢神宮が混じるくらい。関西に住んでた頃は、たぶん寒さに負けて初詣に行けなかった記憶が。(だってホントに奈良は寒かったんだもん)帰省もしてたしね。こっちに来てからは、一度明治神宮に行きましたが、あとは成田さん、船橋大神宮(渋い)、そしてここ三年連続で浅草寺がお気に入り。
御千代保稲荷は、商売の神様だという事で、わたしにピッタリ。姉はよく友人から「おちょぼさんに行くなんて、商売やってるの?」と聞かれて「ううん、やってないけど、楽しいから行くの」と答えるらしいです。いつも「楽しい事を追求する」ことに忠実で、思考も明快な姉なのです。わたしもこうありたいものです。
参拝客でにぎわう沿道にあるこじゃれた茶屋にはいりました。和のしつらえが素敵です。わたしの食べたクリーム白玉あんみつ。もうコレ完璧。最高です。姉は珈琲ゼリー。あんこと珈琲ゼリーって合うのねん。義兄は団子。ゴマ団子だけいただいたけど、おいちい♪これだけ煎茶付で、みんなののどを潤していました。母はぜんざい。アラレが入ってて、食感がたまりません。どれもこれもおいしかった。
休憩のあとは、いよいよ御千代保稲荷の参拝。途中から急激に増える人並み。母が「10円だったっけ?」と小銭を出しているので、何の事だろう?お賽銭の金額が決まってるのかな?などとぼんやり考えながら歩いていると、姉が「お母さん、30円だった」と言って戻ってきた。「買い出し隊」と言って、義兄が並んでくれたようですが、戻って来た義兄の手に握られていたのは・・・・
そう、お揚げとろうそく。お稲荷さんだからお揚げなんですね。納得。何だかご利益がありそうではないですか。まずは並んで、ろうそくに火をともしますが、肝心の乗せる場所に、さすようなものがなく、ロウを溶かして乗せるしかないのだけど、後ろに人は待ってるし、グズグズしてられなくて、手を離すと、あーあ・・・落ちちゃった・・・ふ、不吉な予感。「落ちてってまったでしょう」と何の事はないというように言う姉。そ、そうよね、何てことはないわよね。
お揚げとお賽銭を一緒に投げて、お願いごとを唱える。義兄の投げたお揚げが、垂れ幕に引っかかって、わたしたちを笑わせたあと、しばらくして落ちた。「一日くらい持ってくれるかと期待したけど、まぁ、少しでも長く投げた揚げを見ていられて、ちょっとうれしかった」うん、わかる気がする。
初詣と言えばおみくじという感覚は、うちの家族はないのか、わたしだけがおみくじを引く事に。しかしここのは、金額自由で、箱に入れて八角形の箱からおみくじを引くんだけど、おみくじの結果が、紙じゃなくて、板に書いてあるの。しかも滲んで見にくい。この時点で不吉だったので、引かなきゃよかったんだけど、引いてしまったら
な、なんと「大凶」!!!
生まれて初めての大凶かもしれない。姉と二人で読んで見ると「待ち人来らず」「失せ物出ず」「願望叶わず」・・・・絶望的だよ。あまりにひどいので、姉が「もう一回引きなよ」と言って、もう一回引いてみた。すると今度は凶!!( ̄ロ ̄;
でもさ、よくよく数えてみたら、凶の数が多いんだもん。大吉・吉・中吉・半吉・小吉・末吉に対して、大凶と凶も5個くらいあった気がする。そりゃ出るはずだよ。2分の1の確立だもん。と自分をなぐさめてみる。
→ 大吉・中吉・小吉・吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶
わたしがしょんぼりしていると、家族が「ほら、お稲荷さんに名刺と一緒に備えてる人がいるよ。備えたら?」と声をかけてくれた。思わず携帯で写メしまくるわたし。この辺りの写真は全部携帯なんだけど、屋外でいい天気だと、結構いい感じに撮れる。
この辺りはナマズが名物だという事で、家族は去年食べたらしい。「もろこ」というのも名物で、母は買っていた。
遅いお昼は回転寿司。ひと皿全部¥100の店で、お皿をダストシュートのようなのに突っ込んで行くと、5枚でくじが始まる。モニタでルーレットなどを眺めていると、4人で51皿食べて、2回当たった。これが景品のコマ。なかなか美しい。
そのあとわたしの新幹線までまだ時間があったので、家に戻って、またもやトランプ三昧。いい加減7並べには飽きて、ここ数日はもっぱら「51合わせ」にはまっていたわたしたち。小学生の頃は、父と4人でずーっとやっていたよなぁ。「51」と「かぶ」が我が家の定番でした。
そういえば、ダイソーでトランプと一緒に、義兄は賭けるために、おもちゃのお金を買っていたんだけど、結局使わなかったので、物足りなかったに違いない。
さて、長々と綴って来た帰省もこれにて終了。今回おもしろいな、としみじみ思ったのは、帰省するときに、周りの人に「名古屋に帰ります」と言い残して来てたのに、名古屋から東京に向かう時もやっぱり「帰る」なのだな。むしろ、もう今では東京に帰る方がしっくり来るから不思議。
この春で、東京暮らしも10年経ちます。冷たい街だと言われるけど、そうなのかな。わたしはそうは感じないな。どこにいても、いい人もいればイヤな奴もいる。といいますか、自分に合う人と合わない人はどこにでもいるという事かな。
家族と過ごした時間は、とても温かくて大切で、帰りの車では思わず涙ぐんでしまったし、帰るのが辛かったけれど、とっても非日常だし、非日常ゆえの良さなのだと思う。今の自分の生活は、東京にあるし、わたしは東京が好きでもある。名古屋を好きな気持は、愛情とか愛着とかそんな温かい気持で、東京はもっと、なんというか、便利さとか刺激とかそんな客観的な感じで。
でも東京だってあったかい。わたしを待っていてくれる人のいる街は、いつだってどこだってあったかいのだ。
名古屋時代の初詣は圧倒的に熱田神宮。それに犬山や伊勢神宮が混じるくらい。関西に住んでた頃は、たぶん寒さに負けて初詣に行けなかった記憶が。(だってホントに奈良は寒かったんだもん)帰省もしてたしね。こっちに来てからは、一度明治神宮に行きましたが、あとは成田さん、船橋大神宮(渋い)、そしてここ三年連続で浅草寺がお気に入り。
御千代保稲荷は、商売の神様だという事で、わたしにピッタリ。姉はよく友人から「おちょぼさんに行くなんて、商売やってるの?」と聞かれて「ううん、やってないけど、楽しいから行くの」と答えるらしいです。いつも「楽しい事を追求する」ことに忠実で、思考も明快な姉なのです。わたしもこうありたいものです。
参拝客でにぎわう沿道にあるこじゃれた茶屋にはいりました。和のしつらえが素敵です。わたしの食べたクリーム白玉あんみつ。もうコレ完璧。最高です。姉は珈琲ゼリー。あんこと珈琲ゼリーって合うのねん。義兄は団子。ゴマ団子だけいただいたけど、おいちい♪これだけ煎茶付で、みんなののどを潤していました。母はぜんざい。アラレが入ってて、食感がたまりません。どれもこれもおいしかった。
休憩のあとは、いよいよ御千代保稲荷の参拝。途中から急激に増える人並み。母が「10円だったっけ?」と小銭を出しているので、何の事だろう?お賽銭の金額が決まってるのかな?などとぼんやり考えながら歩いていると、姉が「お母さん、30円だった」と言って戻ってきた。「買い出し隊」と言って、義兄が並んでくれたようですが、戻って来た義兄の手に握られていたのは・・・・
そう、お揚げとろうそく。お稲荷さんだからお揚げなんですね。納得。何だかご利益がありそうではないですか。まずは並んで、ろうそくに火をともしますが、肝心の乗せる場所に、さすようなものがなく、ロウを溶かして乗せるしかないのだけど、後ろに人は待ってるし、グズグズしてられなくて、手を離すと、あーあ・・・落ちちゃった・・・ふ、不吉な予感。「落ちてってまったでしょう」と何の事はないというように言う姉。そ、そうよね、何てことはないわよね。
お揚げとお賽銭を一緒に投げて、お願いごとを唱える。義兄の投げたお揚げが、垂れ幕に引っかかって、わたしたちを笑わせたあと、しばらくして落ちた。「一日くらい持ってくれるかと期待したけど、まぁ、少しでも長く投げた揚げを見ていられて、ちょっとうれしかった」うん、わかる気がする。
初詣と言えばおみくじという感覚は、うちの家族はないのか、わたしだけがおみくじを引く事に。しかしここのは、金額自由で、箱に入れて八角形の箱からおみくじを引くんだけど、おみくじの結果が、紙じゃなくて、板に書いてあるの。しかも滲んで見にくい。この時点で不吉だったので、引かなきゃよかったんだけど、引いてしまったら
な、なんと「大凶」!!!
生まれて初めての大凶かもしれない。姉と二人で読んで見ると「待ち人来らず」「失せ物出ず」「願望叶わず」・・・・絶望的だよ。あまりにひどいので、姉が「もう一回引きなよ」と言って、もう一回引いてみた。すると今度は凶!!( ̄ロ ̄;
でもさ、よくよく数えてみたら、凶の数が多いんだもん。大吉・吉・中吉・半吉・小吉・末吉に対して、大凶と凶も5個くらいあった気がする。そりゃ出るはずだよ。2分の1の確立だもん。と自分をなぐさめてみる。
→ 大吉・中吉・小吉・吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶
わたしがしょんぼりしていると、家族が「ほら、お稲荷さんに名刺と一緒に備えてる人がいるよ。備えたら?」と声をかけてくれた。思わず携帯で写メしまくるわたし。この辺りの写真は全部携帯なんだけど、屋外でいい天気だと、結構いい感じに撮れる。
この辺りはナマズが名物だという事で、家族は去年食べたらしい。「もろこ」というのも名物で、母は買っていた。
遅いお昼は回転寿司。ひと皿全部¥100の店で、お皿をダストシュートのようなのに突っ込んで行くと、5枚でくじが始まる。モニタでルーレットなどを眺めていると、4人で51皿食べて、2回当たった。これが景品のコマ。なかなか美しい。
そのあとわたしの新幹線までまだ時間があったので、家に戻って、またもやトランプ三昧。いい加減7並べには飽きて、ここ数日はもっぱら「51合わせ」にはまっていたわたしたち。小学生の頃は、父と4人でずーっとやっていたよなぁ。「51」と「かぶ」が我が家の定番でした。
そういえば、ダイソーでトランプと一緒に、義兄は賭けるために、おもちゃのお金を買っていたんだけど、結局使わなかったので、物足りなかったに違いない。
さて、長々と綴って来た帰省もこれにて終了。今回おもしろいな、としみじみ思ったのは、帰省するときに、周りの人に「名古屋に帰ります」と言い残して来てたのに、名古屋から東京に向かう時もやっぱり「帰る」なのだな。むしろ、もう今では東京に帰る方がしっくり来るから不思議。
この春で、東京暮らしも10年経ちます。冷たい街だと言われるけど、そうなのかな。わたしはそうは感じないな。どこにいても、いい人もいればイヤな奴もいる。といいますか、自分に合う人と合わない人はどこにでもいるという事かな。
家族と過ごした時間は、とても温かくて大切で、帰りの車では思わず涙ぐんでしまったし、帰るのが辛かったけれど、とっても非日常だし、非日常ゆえの良さなのだと思う。今の自分の生活は、東京にあるし、わたしは東京が好きでもある。名古屋を好きな気持は、愛情とか愛着とかそんな温かい気持で、東京はもっと、なんというか、便利さとか刺激とかそんな客観的な感じで。
でも東京だってあったかい。わたしを待っていてくれる人のいる街は、いつだってどこだってあったかいのだ。
〜今年の具体的な目標〜
今回帰省して感じたのは、わたしの食べ物の嗜好は明らかに、この実家において(たとえ今は義兄と姉の家だとしても)培われたという事。この家ではあまりアルコールが出てきません。基本車で移動する事が多いせいもあるんだろうけど、家にずっといても、ホントお酒がない(笑)しかし正月くらいは、とおいしいロゼのスパークリングワインを開けました。
わたしは酒の席ではよく気持よく酔っているので、人様からは相当なノンベだと思われていそうだけれど、実はあまり飲まないのです。家にはお酒がなく、一人で飲む習慣もなく、人と一緒でも、相手が飲まなければ、まず飲まないし、相手が飲んでても飲まない事もあるくらい。その代わり甘いものを食べる量は半端じゃないです。実家もわたしも。
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わたしは酒の席ではよく気持よく酔っているので、人様からは相当なノンベだと思われていそうだけれど、実はあまり飲まないのです。家にはお酒がなく、一人で飲む習慣もなく、人と一緒でも、相手が飲まなければ、まず飲まないし、相手が飲んでても飲まない事もあるくらい。その代わり甘いものを食べる量は半端じゃないです。実家もわたしも。
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