D.T./みうら じゅん, 伊集院 光
2002
メディアファクトリー
みうら じゅん, 伊集院 光
おもしろかった!
女子が読む本じゃないなんて言わないでおくれやす。
女子、しかも中学生くらいのうちに、これを読んでおけば
あの頃の男子のあんな挙動不審の謎が解けたかも・・・
しれない・・・???
アリスの不思議なお料理
子供の頃読んだ本を久しぶりに手に取ってみた。アリスの中にでて来る「私をお飲みスープ」や「私をお食べケーキ」などのレシピが載っている、アリス好きにはたまらない本。材料は普通だし、一見食べられそうだけど、想像に想像を膨らませるにつれ、微妙?な気持ちになるそんなレシピがいっぱい。元の本がナンセンスだから、レシピもそうであるべき? でも何か作ってみたいのだ。ど・れ・に・し・よ・う・か・な?
大好きなアリスの絵を描いて、イラストを使って本を作ってみました(もちろん遊び(勉強)です。売ってませんので、本屋さんには行かないで下さい(^^;)
アリスの世界には、実にユニークな食べ物が出てきます。飲むと背が縮んでしまう「お飲みなさいスープ」、背が伸びたり縮んだりする「二刀流きのこ」、ハートの女王様のジャムタルト、ハンプティダンプティの「おしゃれゆで卵」など。キャロル原作のアリスには「不思議の国」と「鏡の国」があるのですが、その両方からのユニークなレシピを集めた本なのです。
↓詳しくはこちらに。
大好きなアリスの絵を描いて、イラストを使って本を作ってみました(もちろん遊び(勉強)です。売ってませんので、本屋さんには行かないで下さい(^^;)
アリスの世界には、実にユニークな食べ物が出てきます。飲むと背が縮んでしまう「お飲みなさいスープ」、背が伸びたり縮んだりする「二刀流きのこ」、ハートの女王様のジャムタルト、ハンプティダンプティの「おしゃれゆで卵」など。キャロル原作のアリスには「不思議の国」と「鏡の国」があるのですが、その両方からのユニークなレシピを集めた本なのです。
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姫君/山田 詠美
2004 文芸春秋 山田 詠美
短編集。せつない詠美節がうなる。ただ自分的に傑作だと思う「風味絶佳」の直後に読んだので、少し物足りなさが残る。
好きじゃない話もあったけど(「MENU」「フィエスタ」) 「検温」「姫君」は大好きな話。 「ただちょっとだけ好きで、一緒にいるだけで楽しい」 程度の恋は楽しい。けれど相手を失いたくない、と感じた時、恋は苦しみになる。しかもその苦しみは、実に甘美で麻薬のような中毒性を持つ。その甘美な苦しみをギリギリまで味わうために必要な事は 「死を隠し持った女」になること。そんな女に、わたしもなりたい。
チーズはどこへ消えた?/スペンサー ジョンソン
2000
扶桑社 スペンサー ジョンソン, Spencer Johnson, 門田 美鈴
今さらながら読んでみたが、すぐに読めて面白かった。今まさに、迷路の中を新しいチーズを求めてさまよいだした、と言える自分は、まさしくホー。最近までは、迷路をさまよう不安感ばかりが 、募るようになっていたけれど、この本を読んで、
もっと早く決断していたら、とあらためて思うようになった。 けれど、物事に遅すぎると言う事はないはずだと思いたい。
とても前向きにさせてくれる一冊。
けれど後半部分のディスカッションで、「新しいチーズを求める事は、単に新しいものや人を求めるという事だけでなく、それまでの関係性を見直すということでもある」 というのに、考えさせられた。以前の古いチーズに固執していた時点でこの本を読んでいたら、今のような事態に思い切って飛び出そうとしたか、それとも、自分自身の行動を見直そうとしたか。それはわからない。ただその時点でこの本とは出会わなかっただけ。それも運命と呼ぶべきなのか。
どちらにしろ自分はもう新しいチーズを求めて、飛び出してしまったのだ。それは絶対にその場に留まっていたよりはよかったはず。
今この本に出会えて本当によかった。
風味絶佳/山田 詠美
2005 文藝春秋 山田 詠美
大好きな作家だけに期待度も大きいのだけど、その期待を裏切らないどころか、ただただ、感嘆させられてしまう作品集。さすがだ。 表題作の「風味絶佳」に出て来る粋なおばあさんが、いつも森永のキャラメルを舐めている事から、装丁がキャラメルのパッケージ風になってるのもかわいい。
私が一番好きなのは「夕餉」この作品の主人公の恋人の職業はゴミの収集作業員。
これを読んでいたら、きちんと料理を作って、きちんとゴミを出して、きちんと生活したくなった。登場する男性の職業が全て、ブルーカラーで、人からは蔑まれがちな仕事ばかりだというのが、この作品集のひとつの軸になっている。
ゴミを出したり、水を下水に流したり、死んだら骨になったり、人が人として生きていくために一番大切な部分を、ケアする職業はなぜか、汚れているかのように、後ろ指を指されるものだということに、あらためて気づいて唖然とする。作品の中に流れる何ともいえない無常観はいつも通り。けれど愛があるから、だから救われる。誰かをきちんと愛して、きちんと生きて、きちんと死んでゆきたい。そんな気もちになる一冊。
人のセックスを笑うな/山崎 ナオコーラ
2000 河出書房新社 山崎 ナオコーラ
すうっと読めてしまったが、単純な話ではなく、言葉の合間に、行間や含みを持たせていて 、余韻を残しながら読み進む感じ。もしかしたら若い人には、主人公の気持ちはわかっても、ユリの気持はさっぱりわからないかもしれないが 、ユリに近い年齢の読者に取っては、書かれていない 、ユリの気持にも、十分感情移入できる。 それをまだ20代の著者が書けるのはスゴいと思う。
この種の小説は、感じるもので、物語の筋は あまり重きを持たないものなのだと思うが それにしても、あらすじを言ってしまえば、 一行でたりそうなのに、この後を引く感覚。 今度はこの人の書く女性視点のものも是非読んでみたい。
「そして私は一人になった」山本文緒
最近知ったのだけど、私はどうやら、かなり見栄っぱりらしい。 山本文緒の「そして私は一人になった」という本を読んだ。これは著者が離婚して、一人で暮らし始めた時の一年間の日記なのだけど、一人暮らしで何が辛いかと言えば、病気の時だと誰もが思いそうだが、著者は病気の時ほど、一人になれてよかったと思うのだそうだ。見栄っぱりな自分は、たとえ死にそうにしんどくても、そばに人がいると、「大丈夫」と言ってしまう。だから、一人のほうが、心置きなく苦しむことができる、という。 私にもそういうところがあって、でもそれは、自分が忍耐強いせいなのだと思っていた。単に見栄だったのか。
初めての海外旅行でバリ島に行った帰り、ストでトランジットができず、6時間くらい空港で足止めをくらった挙げ句、経由地のグァムで一泊する事になったのだが、空港で足止めされている間、友人達はぐったりしていたのに、私一人、誰に頼まれたわけでもないのに、みんなを励ましつつ、元気にはしゃぎ回った結果、グァムで倒れて、寝込んでしまったのだ。友人達は、私を置いていくわけにもいかず、結局、私の枕元にずっといてくれたのだけど、これが本当に辛かった。みんなにとっても迷惑な話だったよな。
本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをして、一人で勝手に疲れている、本当に困った、見栄っぱりな私である。だから、大丈夫だと言っても、本当は大丈夫じゃないことをわかってくれる人じゃないと、一緒にはいられないのだ。たまに本当に大丈夫で、放っておいて欲しいときもあるのもややこしい。
こんな見栄っぱりな私に、幸せは訪れるのだろうか?
※画像はニワトリケトル。こういうの以前は絶対買わなかったのに、最近は家中が妙にかわいいもので埋まってゆく〜
初めての海外旅行でバリ島に行った帰り、ストでトランジットができず、6時間くらい空港で足止めをくらった挙げ句、経由地のグァムで一泊する事になったのだが、空港で足止めされている間、友人達はぐったりしていたのに、私一人、誰に頼まれたわけでもないのに、みんなを励ましつつ、元気にはしゃぎ回った結果、グァムで倒れて、寝込んでしまったのだ。友人達は、私を置いていくわけにもいかず、結局、私の枕元にずっといてくれたのだけど、これが本当に辛かった。みんなにとっても迷惑な話だったよな。
本当は大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをして、一人で勝手に疲れている、本当に困った、見栄っぱりな私である。だから、大丈夫だと言っても、本当は大丈夫じゃないことをわかってくれる人じゃないと、一緒にはいられないのだ。たまに本当に大丈夫で、放っておいて欲しいときもあるのもややこしい。
こんな見栄っぱりな私に、幸せは訪れるのだろうか?
※画像はニワトリケトル。こういうの以前は絶対買わなかったのに、最近は家中が妙にかわいいもので埋まってゆく〜
「蹴りたい背中」 綿矢りさ
言わずと知れた19歳最年少の芥川賞受賞の超ベストセラー本である。この本に関しては、賛否両論あると思うけど、わたしは思わずうなってしまった。とにかく、すごい、と思った。綿矢りさの才能に。
内容は、クラスのあぶれものの女子高生と男子高生の交流、みたいなものなので、取り立てて読みたいテーマではない。読み終わって、感動のあまり胸が震えると言う物語でもない。誰もが読んでおもしろい、という本ではないだろう。
けれど、誰もが持つ心の中の小さな機微を、正確にすくい取って、それを表現することに関しては、まさに秀逸だと思う。これは話題作りのために選ばれただけの作品ではない。この作品をつまらない、と感じる人はきっと、文学に娯楽を求めているのかも知れない。「こんな作品で芥川賞が取れるなら、自分にだって書ける」という人がいるなら、書いてみるといい。絶対に書けやしないから。
「芸術」としての「文学作品」である、これは。芥川賞は新人賞ではなく「純文学」のための賞なのだから。
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内容は、クラスのあぶれものの女子高生と男子高生の交流、みたいなものなので、取り立てて読みたいテーマではない。読み終わって、感動のあまり胸が震えると言う物語でもない。誰もが読んでおもしろい、という本ではないだろう。
けれど、誰もが持つ心の中の小さな機微を、正確にすくい取って、それを表現することに関しては、まさに秀逸だと思う。これは話題作りのために選ばれただけの作品ではない。この作品をつまらない、と感じる人はきっと、文学に娯楽を求めているのかも知れない。「こんな作品で芥川賞が取れるなら、自分にだって書ける」という人がいるなら、書いてみるといい。絶対に書けやしないから。
「芸術」としての「文学作品」である、これは。芥川賞は新人賞ではなく「純文学」のための賞なのだから。
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「対岸の彼女」角田光代・著
本は常に読んでいるのだけど、なかなかここに感想を残せない。でも今回は、思うところがあって、残しておこうと思う。
読む前の予備知識は、この本は、「いわゆる『勝ち犬』と『負け犬』の友情物語である」ということだったけれど、読み終わってみると、著者の意図は、全然そんなのとは違うよなぁ、と思う。
よく、年をとると、本当の友情は育ちにくいと言う。結婚していたり独身だったり、子供がいたりいなかったり、仕事を持ってたり、専業主婦だったり、そんな立場の違いを超えて理解し合うのは確かに難しい。そういうときに「みんながただ未来の夢を語っていればよかった、高校生くらいの頃とは違う」と言うようなことがよく言われるが、果たしてそうだろうか。この物語は、30代半ばの現在と、高校生だった20年前を行き来しながら、いつの頃も同じように、ささいな違いを見つけては、共通の敵を作り出し、それで団結を強めると言うような、女性の特性(?)と、どこにでも存在する、いじめの構図が描かれている。
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読む前の予備知識は、この本は、「いわゆる『勝ち犬』と『負け犬』の友情物語である」ということだったけれど、読み終わってみると、著者の意図は、全然そんなのとは違うよなぁ、と思う。
よく、年をとると、本当の友情は育ちにくいと言う。結婚していたり独身だったり、子供がいたりいなかったり、仕事を持ってたり、専業主婦だったり、そんな立場の違いを超えて理解し合うのは確かに難しい。そういうときに「みんながただ未来の夢を語っていればよかった、高校生くらいの頃とは違う」と言うようなことがよく言われるが、果たしてそうだろうか。この物語は、30代半ばの現在と、高校生だった20年前を行き来しながら、いつの頃も同じように、ささいな違いを見つけては、共通の敵を作り出し、それで団結を強めると言うような、女性の特性(?)と、どこにでも存在する、いじめの構図が描かれている。
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『避暑地の猫』 宮本 輝・著
ネットの友人・ともちんのお奨めで、宮本輝さんをポツポツ読んでるんですが、図書館で、ふと目に留まったのがこの本。
あらすじより(講談社文庫)
これを読んで、何となく、話の内容は想像がついたんだけど、でも、それ以上に、巧みな心理描写に、引きこまれて読んじゃいました。感想には、あらすじは書いていませんが、これから新鮮な気持ちで読みたい方は、読まないほうがいいかも?
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物語は、平和な家庭の一風景から始まる。裕福な医者一家は、せっかくの休日の軽井沢行きを、雨のせいで、あきらめようとするのだが、そこへ、急患の知らせが入る。しぶしぶ職場に向かう医師が、急患の手術を終えた後、少し前からの入院患者である、無口な青年からの、告白として、この物語は語られる。
悲しく、残酷な物語だった。最初のうち、悪として描かれていた者が、本当はそうではなく、生贄の子羊のごとく、弱弱しい者として描かれていた者が、実は悪魔の化身だったと、誰に想像できるだろう?そして、もっとも弱き者である父親の、唯一の最後の望みだった、主人公の「僕」の中にも、流れる悪魔の血は、父を絶望させ、虚無の中、破滅へと向かわせる・・・・
美しい母の言葉は、どこまでが本音だったのだろう。少年を、犯行へと向かわせた「薄汚い男」というのは、愛人への気遣いから出た言葉ではなかったのだろうか。その「薄汚い男」との間に子供ができていたことを、母は気づいていたのだろうか・・・・
途中、迷い猫を探すブルジョワ夫婦と、その迷い猫に付きまとわれる不思議な青年が登場する。そこだけが、ちょっと常軌を逸した場面なのだが、しっくりと、効果的に「猫」というものを暗示するのに、一役買っている。
そして、少年の淡い恋と、相手の少女のどこまでも清らかな様子が、この背徳の物語の中での、一服の清涼剤となっている。彼女を汚さなかった事が、自分にとっての救いであるという事、それは、自らの手を血で染めずには生きる事を許されなかった、あまりに悲しい宿命を背負った主人公の、最後のよりどころなのだ。それを思うと、あまりにも悲しい。
あらすじより(講談社文庫)
清澄な軽井沢の一隅に、背徳の地下室はあった。そこでは、全ての聖なる秩序は爛れ去り、人間の魂の根底に潜む、不気味な美しさを湛えた悪魔が、甘い囁きを交わすのだ。尊敬する父も、美しい母も、愛する姉も、そして主人公の少年も、そこでは妖しい光を放つ猫となる。だが、この作品での猫とは何か?
これを読んで、何となく、話の内容は想像がついたんだけど、でも、それ以上に、巧みな心理描写に、引きこまれて読んじゃいました。感想には、あらすじは書いていませんが、これから新鮮な気持ちで読みたい方は、読まないほうがいいかも?
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物語は、平和な家庭の一風景から始まる。裕福な医者一家は、せっかくの休日の軽井沢行きを、雨のせいで、あきらめようとするのだが、そこへ、急患の知らせが入る。しぶしぶ職場に向かう医師が、急患の手術を終えた後、少し前からの入院患者である、無口な青年からの、告白として、この物語は語られる。
悲しく、残酷な物語だった。最初のうち、悪として描かれていた者が、本当はそうではなく、生贄の子羊のごとく、弱弱しい者として描かれていた者が、実は悪魔の化身だったと、誰に想像できるだろう?そして、もっとも弱き者である父親の、唯一の最後の望みだった、主人公の「僕」の中にも、流れる悪魔の血は、父を絶望させ、虚無の中、破滅へと向かわせる・・・・
美しい母の言葉は、どこまでが本音だったのだろう。少年を、犯行へと向かわせた「薄汚い男」というのは、愛人への気遣いから出た言葉ではなかったのだろうか。その「薄汚い男」との間に子供ができていたことを、母は気づいていたのだろうか・・・・
途中、迷い猫を探すブルジョワ夫婦と、その迷い猫に付きまとわれる不思議な青年が登場する。そこだけが、ちょっと常軌を逸した場面なのだが、しっくりと、効果的に「猫」というものを暗示するのに、一役買っている。
そして、少年の淡い恋と、相手の少女のどこまでも清らかな様子が、この背徳の物語の中での、一服の清涼剤となっている。彼女を汚さなかった事が、自分にとっての救いであるという事、それは、自らの手を血で染めずには生きる事を許されなかった、あまりに悲しい宿命を背負った主人公の、最後のよりどころなのだ。それを思うと、あまりにも悲しい。