物事は、その絶対的価値よりも、相対的な価値によって、決まって行くことが多いように思う。例えば、毎年開かれているコンクール類でも、粒ぞろいの年には、すごくいい作品でも入賞すらできないのに、それほどよくできたものではなくても、他がイマイチだったら、いきなり優勝してしまったり。
あるいは、最初はそれほど何も感じていなくても「すごくいい」と横で騒いでる人がいたら、だんだんよく見えてきたり。お店で「人気商品に付、残り一点限り」なんて書いてあると、すごく欲しくなっちゃったり。ちょっといいなぁっと思っていただけの異性が、他の人と仲良くしてるのを見た途端に、急にものすごく好きだと感じるようになったり(恋愛物語の王道ですね)。
そもそも、そのものの「絶対的価値」なんて本当に、あやふやなものなのかもしれない。そう言う心理を使って、うまく話を運ぶのが、交渉術というものなのだな。昨日は、そんなことを強く感じた一日だった。
交渉術とは
「蹴りたい背中」 綿矢りさ
言わずと知れた19歳最年少の芥川賞受賞の超ベストセラー本である。この本に関しては、賛否両論あると思うけど、わたしは思わずうなってしまった。とにかく、すごい、と思った。綿矢りさの才能に。内容は、クラスのあぶれものの女子高生と男子高生の交流、みたいなものなので、取り立てて読みたいテーマではない。読み終わって、感動のあまり胸が震えると言う物語でもない。誰もが読んでおもしろい、という本ではないだろう。
けれど、誰もが持つ心の中の小さな機微を、正確にすくい取って、それを表現することに関しては、まさに秀逸だと思う。これは話題作りのために選ばれただけの作品ではない。この作品をつまらない、と感じる人はきっと、文学に娯楽を求めているのかも知れない。「こんな作品で芥川賞が取れるなら、自分にだって書ける」という人がいるなら、書いてみるといい。絶対に書けやしないから。
「芸術」としての「文学作品」である、これは。芥川賞は新人賞ではなく「純文学」のための賞なのだから。
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庭園植物記展
この日曜日に会期終了となってしまった、庭園美術館の「庭園植物記展」を、会期ギリギリに見に行ってきました。植物画を長年描いている私としては、どうしても押さえておきたかったこの展覧会。植物画というより、もっと広範囲で楽しめる展覧会でした。なんと言っても一番印象に残ったのは、写真。アラーキーの「花曲」や蜷川実花のウィンターガーデン内の展示の色彩の鮮やかさを前に(私はこの二つの部屋に住みたいと思いました。やっぱり植物が好きなんだなぁ。でも、蜷川さんのには、でっかい毛虫が写ってたので、やっぱやだ(笑))日本画チックな渋い植物画は、ちょっと地味でしたね。素晴らしい作品ばかりでしたが。
一年前のもっと熱心に植物画をやっていた頃の私には、ちょっと物足りない展覧会だったかもしれませんが、この展覧会の趣旨は、植物画にあるのではなく、植物をモチーフにした表現にあるわけで、洋画家の浅井忠をデザイナーとして、とらえ、(彼の工芸品はいろんなところで見ることができますが)彼の指導の元に、作られた漆器なども展示され、植物がいかに芸術表現における重要なモチーフであったかがわかります。
しかし、わたし的には、生け花の中でも、あのちょっとグロテスクなのは、いただけませんでした。花は花のままで愛でたい。実のところ、切り花が好きでないわたしは、そもそも生け花やアレンジメントと言ったモノとは相容れないのかもしれません。花はすっくと地面に力強く咲いているものが好きです。とはいえ、生け花を写真に撮ったものも、楽しめましたが。写真の中では、井津建郎の青い写真の美しさに惹かれ、植物画は杉浦非水が素晴らしかったです。
庭園美術館HPより
庭園美術館にとって、多くの植物たちに囲まれた広大な庭は大切な構成要素であり、建物(旧朝香宮邸)の装飾にも、いくつもの植物のモチーフを見ることができます。「美」を考えさせる植物という身近な存在は、古くから芸術表現の重要なテーマでした。本展では日本における植物表現に焦点を絞り、自然観察と写生態度に基づき、描き出された幕末期の植物画から、 植物をとらえた現代の写真作品までを展示します。
そこには芸術性を追求した作品だけでなく、 植物の真の姿(本質)に迫ろうとした植物学研究のために制作されたものや、生け花という日本独自の文化に魅せられ、
その姿を残そうとする作家の作品も含まれています。この展覧会では、絵画、写真、工芸などさまざまなジャンルの作品を通して、近代以降の造型表現において、植物がどのような存在であるのかを明らかにします。展覧会の会期にあわせ、美術館の庭園では、珍しい「変化朝顔」[へんかあさがお]を栽培します。さまざまな形に変化した朝顔の姿を、展示作品とともにお楽しみください。
口と足で描く世界の絵画展
先週の金曜日、会社帰りに東京駅に立ち寄ると、八重洲中央口イベント広場で、『口と足で描く世界の絵画展』が行われていました。先天的な病気や事故など、様々な理由から、両手を使って絵を描くことのできない人たちが、口や足を使って描いた絵が展示されていました。どれも素晴らしい作品たちでした。「世界身体障害芸術家協会」では、作品やオリジナルグッズを販売していて、その収益金で、障害者の教育と社会復帰を推進しているのだそう。カレンダーやエコバッグなど、どれもかわいいものばかり。私はイラストに描いた来年のスケジュール帳と、バラの美しい付箋を買いました。
スケジュール帳、今年はこっそりネットにも書けない自分だけのひみつ日記を付けようと、日記帳にもなる分厚いのを買ったのに、なんと10日も経たずに挫折。無駄に重い手帳を持ち歩いています(とほほ)なので、来年は薄くて小さいのを、と思っていたので、ちょうどよさそうです。
世界身体障害芸術家協会 日本代表機関 オールメル出版社 http://www.mfpa.co.jp/
ブログ査定

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気持ちを引き受けること
最近、私はある大きな決断をして、そのことは今、着実に進んで行っている。抽象的なことしか書けなくて申し訳ないのだけど 決断自体には後悔はないのに、なぜか複雑な心境の今日この頃。
先日、ある友達に会って「あなたは優しいのね」と言われた。最近、なぜかそう言われることが多い。唯一母だけが、「優柔不断」だの「八方美人」だの 「未練がましい」だの手厳しい。実際、私は優しい人ではないのだ。
私を「優しい」と言った、ある友達は、私と同じ、ある決断をしたにもかかわらず、その姿は、実に潔い。「だって、こうしたかったんだもん」と、ある意味自分の身勝手さを隠さない。その時は正直なところ、そんなものなのかなぁ、と思った。迷ったりしないのかなぁ、と。
でもふと思う。迷うくらいなら、決断しなければいいのだ。決断した当事者でありながら、その自分が迷ってみせたら、周りの人間はどうしたらいい?大きな決断をして、何かを変えようとすることは、痛みを伴う。新しいことは、新鮮でワクワクするけれど、同時に不安も従う。自分の痛みも誰かの痛みも全部引き受けて「だってこうしたかったんだもん」と言える強さ。新しいことにたとえ失敗しても、誰かのせいにしない。自分が決めたことなんだから、と言える強さ。
いろんな辛い思いを、気持ちを一人で引き受けること。それが私には欠けているだけで、優しいわけではないのだ。そのことに、今日気づいた。
先日、ある友達に会って「あなたは優しいのね」と言われた。最近、なぜかそう言われることが多い。唯一母だけが、「優柔不断」だの「八方美人」だの 「未練がましい」だの手厳しい。実際、私は優しい人ではないのだ。
私を「優しい」と言った、ある友達は、私と同じ、ある決断をしたにもかかわらず、その姿は、実に潔い。「だって、こうしたかったんだもん」と、ある意味自分の身勝手さを隠さない。その時は正直なところ、そんなものなのかなぁ、と思った。迷ったりしないのかなぁ、と。
でもふと思う。迷うくらいなら、決断しなければいいのだ。決断した当事者でありながら、その自分が迷ってみせたら、周りの人間はどうしたらいい?大きな決断をして、何かを変えようとすることは、痛みを伴う。新しいことは、新鮮でワクワクするけれど、同時に不安も従う。自分の痛みも誰かの痛みも全部引き受けて「だってこうしたかったんだもん」と言える強さ。新しいことにたとえ失敗しても、誰かのせいにしない。自分が決めたことなんだから、と言える強さ。
いろんな辛い思いを、気持ちを一人で引き受けること。それが私には欠けているだけで、優しいわけではないのだ。そのことに、今日気づいた。
久しぶりのアナログ画
頼まれて、今まで描いたことのないものを描いている。これがお仕事に結びつくかどうかは、まだ未定なんだけど、とりあえず頑張らねば。今まで描いた事がない=私の得意なものではない ということで、描いてても、イマイチ自信がない。
今日思い出したんだけど、私は長い間筆を持たないでいると、 いつのまにか、すごくストレスをため込んでしまうのだった。以前は、イライラしていると、家族から「最近、絵描いてないんじゃないの?描いたら?」と、催促されたりしたものだ。植物画は私の精神安定剤だったのだな、忘れてたけど(^^;
それなのに、ひよこをデジタルで描いてるから、それでストレスが解消できてると思っていた。実際久しぶりに筆を持つと、この充実感は何?先日、TAGAWAさんと、水彩画について話をして、サイトにお邪魔して感動して「時代に逆行するイラストレーター」と言うコピーが、すごく気に入ったのだけど、私もここはひとつ、アナログの世界に、立ち返ってみようかな。
今日思い出したんだけど、私は長い間筆を持たないでいると、 いつのまにか、すごくストレスをため込んでしまうのだった。以前は、イライラしていると、家族から「最近、絵描いてないんじゃないの?描いたら?」と、催促されたりしたものだ。植物画は私の精神安定剤だったのだな、忘れてたけど(^^;
それなのに、ひよこをデジタルで描いてるから、それでストレスが解消できてると思っていた。実際久しぶりに筆を持つと、この充実感は何?先日、TAGAWAさんと、水彩画について話をして、サイトにお邪魔して感動して「時代に逆行するイラストレーター」と言うコピーが、すごく気に入ったのだけど、私もここはひとつ、アナログの世界に、立ち返ってみようかな。
バラ色の夢を見よう
子供の頃の私は、とても悲観的な少女だった。まだ起こりもしない悪いことを予測しては、悩み、悲観し、泣いては、母を困らせた。大人になってからは、さほど悲観的ではなくなったけれど、やっぱり、こう考えていた。「最悪の事態を覚悟して、それに備え、心の準備をすることは、とても大切だ」と。
でも、最近は考え方が変わって来た。というか、変えて行きたいと思っている。
悪いことなんて考えない。だってそれはまだ、起きていないのだから。絶対うまく行く。自分は幸せになれる。そう信じて、いいことばかり考えて行くことで、絶対に道は開かれると信じている。「ダメかもしれない」と思う気持ちが「ダメ」にしている。「絶対にこうしたい!絶対にこうするんだ!!」と、心に決めて突き進めば、たとえ途中いろいろあっても、最後はうまくいくものなのじゃないかな。 むしろ、絶対にうまく行くんだ!と言うパワーで、悪いものなんか、はね除けてやる!くらいの気持ちでいたい。
だから、まだ起きてない悪いことなんて考えない。私の人生は、この先バラ色なのだ、と信じて生きていきたい。
でも、最近は考え方が変わって来た。というか、変えて行きたいと思っている。
悪いことなんて考えない。だってそれはまだ、起きていないのだから。絶対うまく行く。自分は幸せになれる。そう信じて、いいことばかり考えて行くことで、絶対に道は開かれると信じている。「ダメかもしれない」と思う気持ちが「ダメ」にしている。「絶対にこうしたい!絶対にこうするんだ!!」と、心に決めて突き進めば、たとえ途中いろいろあっても、最後はうまくいくものなのじゃないかな。 むしろ、絶対にうまく行くんだ!と言うパワーで、悪いものなんか、はね除けてやる!くらいの気持ちでいたい。
だから、まだ起きてない悪いことなんて考えない。私の人生は、この先バラ色なのだ、と信じて生きていきたい。
昨日言われたことと雑感
飲んでいると、私はとても頭がゆるくなる。よっぽど激しく酔わない限り、記憶を失うことはないので、言われたことなどはきちんと覚えているのだけど、思考能力がゼロになるのだ。
N先生からは「文章、よくなったよ。以前はもっと弱いと言うか、センチメンタル過ぎたけど、今回は固いと言うか、固いと言う言い方はよくないけど、しっかりしてきました」と、文章についてはお褒めいただいたのだ。
それで、今日、気づいたのだけど、今の自分のことを、短いものにして書いてみようと考えていて、どうも自分のことに近くなるほど、感傷的になるので、文体もベタベタのセンチメンタルになってしまうようだ。
あと、実生活と今回の作品の状況がやや似ているので「書いてると、生活にもそれが出ちゃったりするんだよなぁ」と、苦笑されてしまった。これはちょっと怖い(笑)
仲間の一人からは「もっと、血反吐を吐くくらい苦しんで何か書いてよ。私はあなたのそう言う作品が読みたい!!」と言われてしまった。確かに私に足りないのは、そう言う部分なのかもしれない。
N先生からは「文章、よくなったよ。以前はもっと弱いと言うか、センチメンタル過ぎたけど、今回は固いと言うか、固いと言う言い方はよくないけど、しっかりしてきました」と、文章についてはお褒めいただいたのだ。
それで、今日、気づいたのだけど、今の自分のことを、短いものにして書いてみようと考えていて、どうも自分のことに近くなるほど、感傷的になるので、文体もベタベタのセンチメンタルになってしまうようだ。
あと、実生活と今回の作品の状況がやや似ているので「書いてると、生活にもそれが出ちゃったりするんだよなぁ」と、苦笑されてしまった。これはちょっと怖い(笑)
仲間の一人からは「もっと、血反吐を吐くくらい苦しんで何か書いてよ。私はあなたのそう言う作品が読みたい!!」と言われてしまった。確かに私に足りないのは、そう言う部分なのかもしれない。
『縁』
昨日、友人とランチをした。ほぼ一年ぶりの再会で、会った瞬間、お互いに「やせた?」と言い合う。女性にとっては最高の誉め言葉に、お互いにんまり。
1年前に会ったその人は、どちらかというとマニッシュで、大人の女性なのに、どこか少年っぽさのある人だった。もちろん、そんな彼女もとても素敵な人だったけれど、昨日の彼女は、格段と美しく、潤んだ瞳としっとりとした風情で、何ともいえない色香を漂わせていた。私についても「なんか、大人になったねー。あ、大人なんだけど」と笑われた。「かわいくなったね。あ、もともとかわいいんだけど。前は何か、動物チックに可愛かった」と、よく言われることを、やっぱり言われた(^^;
性格的には、まるで違う人なのだけど(外見もそうだけど)、ものの感じ方とか、好みなどはとても似ていると、今までも思ってはいたのだけど、昨日話をして、改めて、恐ろしいほど共通点を感じてしまった。今、置かれている環境が、あまりに似ていて、それに対する想いや、取り巻く人のタイプまでがそっくりで、これって、「縁」なのかなぁ、と思った。
この人とこの時期に出会って、話して勇気付けられたこと。ずっと感じていた孤独感を、お互いに解消できたこと。神様から、とても美しい贈り物を与えられた気分で、別れ際、じんわりと目頭が熱くなった。お互い、がんばって歩いて行こうね。遠く離れていても、ずっと応援しているよ。
1年前に会ったその人は、どちらかというとマニッシュで、大人の女性なのに、どこか少年っぽさのある人だった。もちろん、そんな彼女もとても素敵な人だったけれど、昨日の彼女は、格段と美しく、潤んだ瞳としっとりとした風情で、何ともいえない色香を漂わせていた。私についても「なんか、大人になったねー。あ、大人なんだけど」と笑われた。「かわいくなったね。あ、もともとかわいいんだけど。前は何か、動物チックに可愛かった」と、よく言われることを、やっぱり言われた(^^;
性格的には、まるで違う人なのだけど(外見もそうだけど)、ものの感じ方とか、好みなどはとても似ていると、今までも思ってはいたのだけど、昨日話をして、改めて、恐ろしいほど共通点を感じてしまった。今、置かれている環境が、あまりに似ていて、それに対する想いや、取り巻く人のタイプまでがそっくりで、これって、「縁」なのかなぁ、と思った。
この人とこの時期に出会って、話して勇気付けられたこと。ずっと感じていた孤独感を、お互いに解消できたこと。神様から、とても美しい贈り物を与えられた気分で、別れ際、じんわりと目頭が熱くなった。お互い、がんばって歩いて行こうね。遠く離れていても、ずっと応援しているよ。



