お皿を水槽に

041015china.jpg大好きなチーズを今日ももぐもぐ。

盛り付けたお皿は、昔描いた絵付けの作品。普段は、わたしはトロリとした油のメディウムや丁子油と言うのを使うのですが、これは、水彩で描かれています。水彩とはいっても、最初に絵の具を溶くのは、水彩用の油で、その後、描くときに、水を筆に含ませながら描きます。これが、ツルツルとした磁器の上に描くのは慣れないと難しくて・・・

かわいいお魚さん、何度書き直したでしょう。さり気なくかわいいように見えて、実は苦労した作品なのでした。(1998年作品)


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フランス現代絵画の巨匠 ザオ・ウーキー展

041021zao_wou-ki.jpgブリヂストン美術館で10/16(土)から開催中の『ザオ・ウーキー展』を10/21(木)に見て来ました。ブリヂストン美術館は、平日は毎日午後8時まで開いていて、働く人の味方なのですが、この展覧会の会期中は、月曜日も開館しているそうです。嬉しい事です。

展覧会の名前に、「フランス現代絵画」と入っていますが、ザオ・ウーキー(趙無極)は、中国人です。渡仏して、詩人・アンリ・ミショーに認められて、パリで確固たる地位を築いていきます。


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この小さなチラシではわかりにくいかもしれませんが、抽象絵画です。それも、ただ筆跡が残ってるだけの、まったく具象的部分のない絵です。わたしはもともと、こういった抽象画は苦手なのです。まるで、チューブからそのまま絵の具を出して塗りたくったような、筆ではなく、パレットナイフで描き殴ったような絵は、意味不明で、わけもなく不安になるのです。

でも、わたしは、彼の絵にとても惹かれました。不安どころか、不思議な安定した気持ちになるのです。なぜなのでしょう?ずっと考え続けていますが、本当のところはわかりません。もしかしたら、色なのかもしれません。色の組み合わせ、色の表現、ぼかし方や散らし方に、とても惹かれるものがあります。でも、彼のモノクロの絵も、やっぱり同じように好きなのです。まるでセザンヌの絵画を、理屈ぬきで好きなように、わたしはザオ・ウーキーの絵が好きなのでしょう。

解説より
パリを舞台に活動を続け、近年その声価を高めている抽象画家ザオ・ウーキー(ZAO Wou-ki、趙無極)は、1921年、北京で、宋王朝にまで遡ることができる名家に生まれました。1948年、27歳で渡仏し、1950年代半ばには抽象絵画に取り組むようになり、当時、フランスで大きな潮流となっていた「アンフォルメル(「不定形」の意)」の画家たちとの交流から大きな影響を受けます。そして鮮烈な色彩の巨大な油彩作品を数多く手がけると同時に、モノクロームの水墨画や版画にも取り組むなど、多彩な制作活動を展開してゆきます。1964年にフランスに帰化したザオ・ウーキーは、洋の東西の違いを越えて、絵画の本質を極めようと努めた画家であるといえるでしょう。この展覧会は、作家本人をはじめ、フランス、アメリカ、台湾、日本の美術館、個人コレクターの多大なご協力を得て、初期から近作にいたる代表作、約70点を一堂に集め、半世紀以上に渡るザオの活動を振り返ります。


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ピカソ展 幻のジャクリーヌ・コレクション

041019picasso.gif10/19(火)新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で24(日)まで開催されていた『ピカソ展 幻のジャクリーヌ・コレクション』を見ました。ジャクリーヌは、ピカソが80歳のときに結婚した2度目の妻で、ピカソの最期を看取りました。ピカソが生涯大切に持っていた作品をすべて、ジャクリーヌが相続し、今回初めて、公開されることとなりました。

先月、現代美術館の『ピカソ展 躰[からだ]とエロス』を見て以来、ピカソと言う巨人の人生について、特にその女性遍歴と絵画のスタイルについて、いろいろと考えさせられました。


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第34回日本ボタニカルアート展

041019botanical.jpg毎年この時期に、小田急百貨店新宿店の美術画廊で開催されています。日本の最高のボタニカルアーティストによる作品展であると言えると思いますので、いつも見ては、頑張らねば、と思ったり、全然ダメーと思ったり・・・そんなときに、60代まで頑張ろう、と思うのです・・・。大体、毎年10月10日前後に行われているので、興味のある方は、足を運んでみてはいかがでしょうか。








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ヴィラデスト歳時記2004 玉村豊男作品展

041012tamamura_toyoo.jpgエッセイストであり、画家である玉村豊男さんの作品展が、あちこちのデパートで開催されている模様。わたしは、10/8(金)〜13(水)まで開催されていた日本橋三越で、10/12(火)に見て来ました。画像は、品切れだったのか、白黒のコピーしかありませんでした。それに、適当に色をつけてみました。

小粋なセンスの水彩画は健在で、うっとり眺めていました。彼の描く素朴でいておしゃれな野菜やハーブの絵も、しゃれた都会の街角も、どちらも大好きです。そして、今回展示されていた絵以上に、心惹かれたのは、彼のデッサンや素描を集めた作品集。花の絵、野菜の絵などに分かれて何冊か出ていますが、もうそれはそれはいろんな表現で対象物が描かれていて、改めて玉村氏の幅の広さを感じました。わたしも、もっといろんな絵を、いろんな表現で描きたいなぁ、と思いました。

マチスの展覧会でも思ったのだけど、同じモノを見て、違う表現で描くと言うのも
今はすごくやってみたいこと。今までは、花を見ると、ボタニカルアートで、細密に描くことしかしてこなかったし、そのことに疑問すら抱かなかったけど、これからは、いろんな画法を試してみたいと思っています。ただ、細密画をある程度極めて、そこからデフォルメすると言うことは、とても大切なことだけど。何でも、基礎のない上に、立派な家を建てることはできないのだから。


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ウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ展

041014wiliam_moriss.jpg10/14(木)すっかり外は暗くなっても、デパートの催事は遅くまでやっていてありがたいです。東京駅の大丸ミュージアムで開催されていた『ウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ展』を見て来ました。


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作品の展示と言う観点では、ちょっと消化不良的な感があるのは否めません。でも、今回は、モリスと言う人やその活動を、とても理解できたので、実り多い展覧会だと言えました。ただ、それならば、モリスの書籍を読んでもできることで・・・帰りのエレベーターで、知らない女性たちが「結局、本物を見てどうこうってものじゃないんだよね」と言っていたのに、納得。

展示のほとんどは、彼の代表的な作品であるテキスタイルのデザイン画と実際の生地で占められているのですが、生地の柄の一部が大きく描かれていたり、見覚えある柄の古い生地が掛けられているだけで「なんてすごいんだろう!」と感動する類のものではないのです。だからといって、モリスの作品がよくない、とうのではもちろんありません。彼の作品は、生活の中に取り入れてこそ、その価値を発揮するものだし、彼が目指したのは、そこにあるのですから。

むしろ、この展覧会で見るべきは、陶芸や金属細工のほうかもしれません。こちらは本当に素晴らしく、職人の技を感じました。1997年にも、モリスの回顧展が開かれて、当時関西在住だったわたしは、京都の美術館に足を運びました。そのときよりは、ずっと深くモリスを理解できたように思うので、進歩はあったかな、と感じます。展覧会は、見る側の受け入れ姿勢もとても大事だと、最近特に思います。

以前に『万国博覧会の美術』と言う展覧会のところでも触れたのだけど、19世紀、明治維新の頃には、工芸は美術とは認められておらず、美術(fine arts)とは、「絵画」「彫刻」「建築」のみであり、それ以外は認めない、と、きっちり線引きがされていたのでした。

そんな中、世紀末に起こった「アーツ&クラフツ運動」は、今までにはなかった新しい美の世界を提唱していきます。ちょうど、産業革命で、工業化が進み、何でも機械化が進むと、今までは、庶民には手に入らなかった新品の洋服なども、廉価で買うことができるようになります。それまでは、新しい服を仕立てると言うことは、非常に高価であり、限られた特権階級だけに許されたことでした。一般庶民は、古着を着るのが普通でしたので、新しい洋服に袖を通す事ができるのは、まるで夢のようではありました。

しかし、機械化されたとは言っても、当時の工業製品は質が悪く、粗悪品が、世間にはびこるようになりました。それに危機感を持ったのが、多くの工芸家たちでした。彼らは、このようなものばかりが世界中にあふれてしまったら、世の中はダメになってしまう、と感じます。もっと、美しく質のいいものを、廉価で庶民にも提供することはできないだろうか。そして、庶民の生活の質を向上して、生活自体を美しく、豊かにできないものか。これが、モリスの提唱した『アーツ&クラフト運動』の根底に流れる精神で、国を超えて、大きなアートの流れとなって行きます。

フランス語で『アール・ヌーヴォー(新しい芸術)』英語で『モダン・スタイル(近代的なスタイル)』ドイツ語で『ユーゲン・シュテイル(若いスタイル)』言葉は違えども、意味するところは同じ。今までになかった、まったく新しい芸術の世界。それは、伝統工芸の復興であり、『美しい世界』の実現を目指していました。

しかし結局、志は高かったものの、この活動は、成功したとは言えません。なぜなら、手の込んだ工芸品は、どうしても高価にならざるを得なく、モリスの工房の作品は、庶民には手の届かないものとなり、彼の顧客は結局は、富裕階級に限られるようになってしまったのです。社会主義活動家としても知られ、人々が等しく美しいものを共有する理想のユートピアを目指していたモリスは、最後までこのジレンマに苦しみます。

しかし、カタログ本文中にもあるように
アーツ・アンド・クラフツ運動と言うのは賞賛に値するものではあったけれども、根深い社会悪に対する現実的な解決手段にはならず、むしろ産業主義への抵抗の試みであったに過ぎない。とはいえ、アーツ・アンド・クラフツ運動は30年以上にわたり英国をはじめ各地で、伝統的な職人の手仕事による装飾芸術に最後の隆盛をもたらしましたし、また製作者の気高い理想が込められた素晴らしい芸術品という遺産を、今日の我々に残してくれた。
A・H・マクマードゥはその著書『アーツ・アンド・クラフツ運動の歴史』の中で、アーツ・アンド・クラフツ運動の作家たちの理想主義についてこう記している。彼らは「生活の糧を得る手段としてではなく、生きがいとして、それらの芸術を深く愛したのである」引用『ウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ』  「ウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動(ピーター・コーマック)」p.14
その精神は気高く、現代にも受け継がれ続けています。
それがモリスの残した、大きな功績であると言えると思うのです。


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假屋崎省吾の世界展

041014kariyazaki_syogo.jpg10/14(木)会社帰りに寄り道。すっかりスター華道家になってしまわれた假屋崎さんの作品展である。ちょうど会期中の琳派展に合わせたのか、活花で琳派を表現するという大胆なことに挑戦しておられた。

ちょうど三越の新館7階のギャラリーのオープン記念の展覧会ということで、新しく広々とした空間だった。活花と言うより、極彩色のオブジェと言う感じ。巨大なアート作品の中に、花が添えられてると言う感じだった。

琳派風って、紫とか金なのねー・・・と納得。でもその中に唐突に、洋風のしつらえ(しかもやたらゴージャス)なのがあったのには、やや違和感?まるで先日の近代美術館『RIMPA展』で「マティスやウォーホールの中に琳派が見えませんか??」と問われて、ちょっととまどってしまったような。でもこれはこれで「アリ」何だと思う。いわゆる「活花」とは違うけれども。


ほんの半年ほどだけ、活花を習ったことがある。活花の先生については、みなさんいろいろおっしゃるのを聞くけど、生徒の活けたものを全部抜いて、活けなおしてしまうのは、あまりいい先生ではないとか。それで言うなら、わたしが付いた先生は、あまりいい先生ではなかったのかもしれない。毎回、結局自分のどこが悪くて、どこをどう直せばいいのか、さっぱりわからなかったのだから。先生の人柄は、好きだったんだけどねぇ。

公民館で、半年のカリキュラムで行われていた教室だったので、それが終ったら、そのままやめてしまった。元々、花は地面からすくっと生えているのが好きなわたしには、活花やアレンジメントの類は、向いていないのかもしれない。


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家庭画報大賞展

041012kateigahou.jpg10/12(火)、琳派展のあとに見たのがコレ。先日の松屋でのおしゃれ工房フェスティバルとともに、かなり楽しみにしています。これは、セレブなマダムの愛読誌『家庭画報』の募集するコンテストで、読者の「手仕事」作品の優秀作品が並ぶわけですが、もうこれがすごい。わたしも手作りは好きですが、恐れ多くて、好きだなんて言えない位。こだわりと、根気と、独創性の賜物なのですね。

今回は、素材を布に絞ったそうで、装い部門とインテリア部門に分けられていました。作品たちに、制作時間が書かれているのですが、意外と短いと感じるものもあれば、よくこんなに時間をかけたなぁと思うものも・・・・秋の夜長、わたしも久しぶりに針を持ちたくなってきました。


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杉崎夫妻のボタニカルアート展

041012sugisaki_botanical.jpg10/12(火)仕事の顔合わせが午後からだったので、その前に新宿まで足を伸ばして、最終日の展覧会を見て来ました。
杉崎夫妻は、山形在住で、ご夫婦で植物画を描かれています。一年おきに、新宿の『新宿高野ギャラリー』で展覧会を開かれるのが、恒例になっています。わたしももう訪れるのは三度目。自分が専門に描いているジャンルの展覧会は、やはりマメに足を運びます。

読売新聞を購読されている方なら、この方たちの絵を、よく目にされているかもしれません。読売新聞日曜版『旅ひと心』という、各界の著名人の旅に関するコラムに添えられている花の絵を中心に、今回の展覧会は開かれていました。我が家は日経なので、今回、そのことをこの展覧会ではじめて知ったのでした。


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一昨年に訪れたときには、ご主人の紀世彦氏から、いろいろためになる話を伺ったのですが、今回は、奥様の文子さんとお話できました。「よく来てくださっていますね。覚えていますよ」と握手を求められました。最近、チャイナのほうに没頭していて、絵の教室もお休みして、家でもほとんど描いていないわたしは、何だかちょっと気が引けたりして。

以前にも紀世彦氏に「とにかくたくさん描くことです。描けばおのずと見えてきます」「どの画家さんにも言えることですが、だいたい60代くらいが脂の乗り切った頃みたいですね。それを目指そうと思えば、あなたには、まだまだうんと時間があります」そんな風に言って頂いたのに。あまりに、わたしと話しこんで下さって、申し訳なくなって恐縮すると「若い人には、年寄りの話を聞く権利があるんですよ。義務ではなくね」温かい人柄は、絵から伝わるそのものです。

なのに、また気づくと、サボっているわたし。

文子さんには「とにかく、一番いい花を選びなさい。それには、花をよく見ること。パッと見て、あ、これ描こうと、一輪だけ見て描いてもダメ。その花を描こうと思ったら、一年前から観察して、その花をよく知って、花が咲いて、一番キレイなときに、一番いい形の花を描くのよ。いい花を選べば、自然にいい絵になります」こう言われ、またもや反省。わたしなど、庭に花が咲いても「あ、描かなくっちゃ」と思ううちに、どんどん時間が過ぎて、結局、たくさん咲いていた花の最後の花が、しおれかけたときになって、慌てて描き出すような始末・・・これじゃ、いけませんね(^^ゞポリポリ

とりあえずは、絶対的に時間がないので、うまく息抜しつつ、チャイナの展覧会を無事終らせたら、こちらのほうも、もっと頑張らなくっちゃなぁ。花は、待っていてくれないのだもの・・・今年も、描けないままにシュウメイギクが終ってしまいました・・・


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煌きのビーズ展

041010beads_matsuzakaya.jpgえと、エントリーの順序が前後しています。これは、10/10(日)にマティス展を夫と見たあとに見に行ったのでした。その間に、実はわたしの絵の先生の出展されてたグループ展を見るために、外苑前まで行ったりして、上野から銀座線を行ったり来たりしてました。

銀座の松坂屋で、10/6(水)〜12(火)まで開催されていたビーズ展ですが、すごいですね〜〜。何でこんなの思いつくんだろ??って、思うような、凝ったものが増えましたね。もうあまりに広まりすぎて、素人でもそこそこレシピ思いついちゃう時代ですから、そんな中で、プロでやっていくって、案外シビアなのかもしれないなぁ、と思いました。


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特に、最近は天然石のブームが定着してて、スワロ、特に5301ソロバンを使うと、何だか今さらっぽく感じちゃったりしますが、スワロにこだわって、独自の色彩感覚で、まさしく「煌く世界」を作り上げる金井志帆さんの作品は、本当に素晴らしいと思いました。ご本人にもお会いできて、少しお話させていただきましたが、すごいのは、勘を頼りに作っていくので、特に細かいものは、同じものは二度とできないとか。デザイン画とか描かないで、感性だけで作っちゃうって、すごすぎます。

あとは、この日に講習会をしてらした飯島由貴さんの、各国の女王のイメージで作られたというアクセサリーたちが素敵でした。マリー・アントワネット、エリザベートなどの西洋の王妃から、中国の西太后まで、本当に、彼女たちが身に着けていてもおかしくないような、豪華さにうっとり。

そして、アクセサリー作家の方たちは、美しい方が多いのはなぜでしょう・・・天から与えられすぎ!うらやましいです〜


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