ネバーランド

050302neverland.jpgさて、またもやレディースデーの水曜日に、映画を見てきました。アカデミー賞で作曲賞を取った『ネバーランド』です。静かで、最後にホッと心の温まる美しい物語でした。

お気に入り度 ★★★★★
劇作家のジェームズ・バリ(ジョニー・ディップ)は新作「リトル・メアリー」の初日を迎えるが、その出来は芳しくなく、興行主チャールズ(ダスティン・ホフマン)や友人コナン・ドイル(イアン・ハート)からも失敗作といわれる。翌日の新聞には案の定、評論家達の酷評が掲載されていた。失意のジェームズは気分転換のためにもと、日課である朝の散歩へと公園へ出かける。そこで偶然知り合ったのが、若く美しい未亡人シルヴィア(ケイト・ウィンスレット)とその4人の息子達だった。この家族、特に3男のピーターとの交流の中で、「ピーターパン」の物語が作られてゆく。
パパさまのところより、引用させていただきました。多謝。

ジョニー・デップは、いい俳優さんですねぇ。まさにはまり役。ケイト・ウィンスレットは、「タイタニック」のイメージがついてしまうのを嫌って、あれ以降は、わざと小品を選んで出演していたと言うことでしたが、この作品、とてもよかったです。ローズもそうでしたが、このシルヴィアも、とても意志の強い女性。よき母親で、バリを愛しながらも、依存しないところが素敵でした。シルヴィアの4人の息子の一人、ピーターは、父親の死のショックで、心を閉ざしてしまっているのですが、この男の子も名演技でした。彼はその後、デップの推薦で、次の映画でも共演することになったそうですね。

わたしがこの映画を見ていて、ずっと頭にあったのは、「ピーターパン・シンドローム」と言う言葉。ご存知なように、「永遠の少年」ピーターパンを夢見る、大人になりきれない男性のことをさすのですが、そのきっかけとなったのが、必死に大人になろうとする少年との出会いであったとは。

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オペラ座の怪人

050223cinema_opera.jpg今まで映画と言うカテゴリのなかったこのBlogですが、今年2005年は、映画を見よう!ということで、今年第一弾劇場に足を運んだのは、これ『オペラ座の怪人』でした。2/23、水曜日のレディスデーに¥1000で見て参りました。こゆとき、女に生まれてよかった〜と思いますね、本当に。

主演三人は吹き替えなしと言うことですが、もう本当に素晴らしい歌声です。特にクリスティーヌ役のエミー・ロッサムは、若干17歳とは思えない歌唱力と官能に、女でありながらめろめろ。ファントム役のジェラルド・バトラーもかっこよかったです。とにかく、豪華です。美しいです。そしてせつないです。

お気に入り度 ★★★★☆
       
さて、内容は皆さんよくご存知の『オペラ座の怪人』(ここから先は、ネタばれになりますゆえ、ご注意を!)

時は1870年代、日本で言えば明治維新の頃、フランスは、ナポレオン三世の第二帝政時代、パリは皇帝の都市計画によって、大きく生まれ変わろうとしていました。第二帝政様式と呼ばれる、ネオ・バロックのクラシックな外観のオペラ座が華やかなりし頃。その頃に現れた「オペラ座の怪人」と呼ばれた男の、悲しい愛の伝説。物語は、すっかりオペラ座が廃墟となってしまった1919年から始まります。

最初、セピア色の絵のように見えたオペラ座が、やがて動き出し、オークションが開催され、いわくありげな老紳士と老婦人が、サルのオルゴール人形を競り合います。そして、老人がそれを手にしたところで、次にその日のオークションに目玉である「怪人」伝説に「一役買った」スワロフスキー製のシャンデリアが競りにかけられ、天井からつり下げられると同時に、周りの廃墟が次々と色彩を取り戻し、舞台は急遽「怪人」のいた1870年代に変わります。

その廃墟から豪華なオペラ座に変貌する様子が、何とも見事で、ここで一気に引き込まれてしまいました。映画館の劇場の前後も左右もほぼ真ん中と言う、本当にいい場所で見られたので、その迫力を十分に堪能できました。また、ファントムの地下の住居の不気味さ、マスカレードのきらびやかさ、舞台の豪華さなど、きちんと時代的検証もなされ、贅沢に作られているだけに、圧倒的なスケールで迫ってきます。


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華やかなうつわたち -伊万里・鍋島・柿右衛門-

050205nedu_museum.jpg根津美術館で2/13まで開催されていた「華やかなうつわたち」を見てきました。

2/5(土)は学芸員さんによる解説があるというので、それを目的に、ひとり休日の表参道から南青山へ。以下、解説で聞いたことを、まとめておきたいと思います。

※画像注:チラシがなかったので、ポスターの写真を撮ってきました(^^;
   

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今回展示されていたものは、山本さんと言うコレクターの方のコレクションで、タイル製造の勉強のために、こうした古い陶磁器を収集なさっていたとか。この方のタイルは、セントレア(中部国際空港)で話題の愛知県常滑市にある「世界のタイル博物館」で見ることができるのだそうです。この博物館に関しては、聞いたことはあったのですが、まだ行ったことがないので、今度帰省するときにでも、セントレアのついでに足を伸ばしてみようかと思いました。

もともと根津美術館には、肥前の焼き物は少なかったのだそうです。というのも、山本氏が収集始めた頃には、これらの磁器は、普段使いの食器として、使用されていて、コレクションとしての価値は認められていなかったそうです。これらの磁器の収集が始まったのは、大正時代にさかのぼることができますが、とてもマニアックな方に限られていて、本格的に収集が盛んになったのは、戦後で、進駐軍の影響に寄るところが大きく、山本氏が収集を始めたのもちょうどこの頃。1650〜1660年代に作られ、本来は輸出用に作られたものの中で、日本に残っていたもの、海外に輸出後に買い付けられて、日本に戻ってきたものを中心に集められました。彼は、バブル期の1990年頃まで収集を続け、以後はタイルに転向します。

肥前の焼き物(いわゆる古伊万里)の輸出が始まったのは、1640年代頃だと言われています。初期のものはろくろで作られていたのですが、ろくろ一台につき税金がかかるようになり、何とかろくろを使わずに、生成ができないものかを知恵を絞った結果、ひも作りが考えだされました。1660年頃には技術が安定し、職人はみな、同じものを作ることができるようになりました。時は元禄文化華やかなりし頃。ハレの日を彩る日本人好みの中国風や京風の絵付けのなされた華やかなものが、盛んに作られるようになります。

伊万里が全部が全くの手描きで、自由に伸び伸びと描かれているのに対して、鍋島は、あたりをつけ、転写を使用し、型通りに丁寧に描かれているのが特徴です。伊万里はセットでも少しずつ絵柄が違うため、バラバラになっても使いやすいのですが、鍋島は、大名などに献上されたということもあり、セットで残っているものが多いのだそうです。

確かに鍋島は、本当に美しく精魂込めて作られているという感じで、表だけでなく、裏側まで丁寧に絵付けがされています。また、釉薬もよいものを使われているので、素地が美しく、青磁も非常に美しいのが特徴です。そうした贅を尽くしたものを、大名は、10枚、20枚というセットで買い付けたのだそうです。

もちろん、そうした陶磁器は、大切に使われていたということもあるのでしょうが、この地震大国日本で、これほどの数の磁器が残っているということに関しては、日本人の風習が強く影響しています。欧米人にとっては、磁器は使用するものであると同時に、室内を飾るものでもありました。しかし、日本人は、季節ごとに使う食器を変えたり、大名などの奥方の意向で「今日はあれ」と指定されたものを、女中が出してきて使用する、ということがほとんどだったので、普段は大切に箱に入れてしまわれていました。そのお陰で、我々は当時の素晴らしい作品を目にすることができるのです。それを聞いて、食器をしまってしまおうと思ったのは、わたしだけではないはずだ(笑)

作品数はあまり多くなかったものの、ひげ剃りに使ったものや、日本の磁器をコンポート風にアレンジされたものなど、いろいろ面白いものが見られました。正直¥1000は高いかな?と感じたけど、この立地で管理するのには、莫大な費用がかかるのでしょうね。休日ということもあり、ものすごい人で、なかなかお話が聞き取りにくい部分もあったのが、少し残念でした。


                  


050205nedu_museum2.jpg
根津美術館で『華やかなうつわたち』を見たのは2時過ぎ。
学芸員さんのお話がその時間から始まったので、それに合わせて行ったのですが
休日で起きるのが遅かったので、お昼を食べ損ねてしまいました。

それで、見終わってから、庭園内に併設されているカフェで遅いランチ・・・のつもりが
もう4時を過ぎていて、できるのは地鶏卵を使ったフレンチトーストだけということ。
でも、トッピングが日替わりというのも楽しみで、それにしてみました。
それがね、とーってもおいしかったのでした。
自分で作るフレンチトーストとは、全然違うし(わたしが下手なだけかもしれないけど)
トッピングも、チョコレートソースとアイスとバナナと手前のあずきの豪華な組み合わせ。

このカフェ、美術館での展覧会を利用しないと入ることができないとあります。
というのもきっと、庭園のみの利用も禁止しているためで、このカフェに入って
そのままお庭も見ちゃったり・・・ということが多かったのかな。
でも別に、チケットを見せないと入れないということはありませんでした。

050205nedu_museum3.jpg
門から見た美術館。
お庭も、もっと違う季節にくると、いろいろ楽しめるかもしれません。
次は春に来てみたいなぁ。


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HANGA 東西国際交流の波 

2004年11月13日(土)-2005年1月16日(日) 東京藝術大学 大学美術館で開催されていました。

この展覧会、昨年の夏に山口の浦上美術館で開催されているのを見つけて以来、「行きたい、行きたい〜〜〜」と、ひとりPCの前で叫んでいたので、東京に来てくれて本当にうれしかったのに、どうしたわけか、もう本当に、会期ギリギリになって、行く事ができたのでした。タイトルの通り、版画と言うアートのひとつの手法を通じて、西洋と東洋の美術が、どう影響し合い、どう交流しつつ発展していったかを考察する展覧会。と書くと、とても堅苦しいのですが、解説文もわかりやすく、楽しめる展覧会でした。

ただ、会場が芸大美術館ということで、仕方ないのかもしれませんが、展示がもう少しゆったりしてると見やすかったかな。解説を読むうちに、後ろの人に追い越されたり、人が固まってしまうと、じっくり見づらいですよね〜〜〜。それだけが残念でした。
   
日本を代表する版画と言えば浮世絵の中の錦絵。それがゴッホやボナールをはじめとする、西洋画家に与えた影響の大きさは、よく知られていますが、その浮世絵も、多くの影響を西洋から与えられていて、いわば「江戸時代の日本における洋画のひとつ」と言えるのだそうです。それがなぜかといえば、日本画というのは、ぺったりと平面的に塗り込むもので、遠近感という概念はなかったのですが、広重の「東海道五十三次」の風景には、遠くの景色が淡くかすむという、空気遠近法の技法が取り入れられているのです。それは、きっと当時の日本の絵画界にとっては、革命的な事だったのでしょう。

美人画で有名な歌麿の植物を書いた絵を見られたのがうれしかったです。また、日本的なものを好んで作られた西洋画家の版画が、本当に多く展示されていて、当時はものすごい日本ブームだったのを感じました。

階が変わって、今度は現代版画の展示。絵画ではなく、版画で表現するということの意味を問うています。日本の版画は、ビエンナーレを通じて、国際社会に大きくはばたいていっているというのもはじめて知りました。駒井哲郎や、長谷川潔などのモダンで小粋な作品は、絵画では表現できない世界だなぁ、と感じます。また、ピカソはやっぱり版画もすごかった。サンタンバンクシリーズの「貧しい食事」悲壮感が迫ってきました。

ひとくちに版画といっても、木版、エッチング、シルクスクリーンなど、本当にいろいろあるのですねぇ。感心しつつビデオを見ていたのに、眠くなってしまいました(^^ゞポリポリ


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勝ち犬?負け犬?

ドラマ「負け犬の遠吠え」を見た。原作は昨年のベストセラーとなった同名エッセイ。かなり話題になって、BLOGで取り上げた方も多かっただろう。

実は、それほど興味がなかったので、本は読まなかったのだが、ドラマはおもしろそうだったので、見ることにした。ちょっと考えさせられてしまった。


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30代独身・子供ナシを負け犬といい、それに対して、夫・子供のいる専業主婦を勝ち犬という(らしい)。では、わたしのように、結婚はしているものの子供のいない女はどっちなのだろう?最初にこの本の事を知ったときに、まずそんな疑問が浮かんだ。でも別に、勝ち犬だろうが負け犬だろうが、どっちだっていい、と思った。だから、あえてこの本を読みたいとも思わなかった。だいたい、この世の半分の女性を、ひとくくりに2種類に分けると言うのが、そもそも気に入らない。

ドラマのほうは、思っていたとおりの筋書きで、思っていた通りの結末。でも、いつのまにか、彼女たちに共感している自分がいた。負け犬である独身女性たちは、あり余る自由と孤独と将来へのあせりと共に暮らしている。ドラマの前半では、そんな負け犬のマイナス面に大きなスポットを当てて描かれる。では、勝ち犬である専業主婦は、そんなに幸せいっぱいなのかといえば、決してそうではない。夫も子供も話を聞いてくれない。誰も誉めたり、認めてくれない、終わりのない家事との戦いの日々。しかも夫が浮気??

専業主婦は、世間が思うほど気楽なものではない。家をいつもきちんと保つのは、本当に大変な事だし、ご近所や親戚・ママたちとの付き合いもある。勝手気ままに夜出歩く事もできないし、主婦の24時間は家族を中心に回っている。それでも、世間はそんな主婦を認めない。主婦の話など、まともに取り合おうとしない。

わたしは、もしかしたら、勝ち犬と負け犬のおいしいところをちょっとずついただいている、一番いい身分なのかもしれない。家事はやらなくてはいけないし、夜出歩く自由はないけれど、それ以外は、比較的自由かもしれない。

でも、ドラマの中で、大塚寧々が言う「何でもかんでも手に入れてる女なんていない」と言うセリフの通り、全てを手に入れるのは不可能なのだ。気楽という事は、責任もないという事。子供と言うかすがいのない、我々夫婦の関係は、子供のいるそれよりは、やはりもろいのかもしれない。

仕事も中途半端。達成感のあるところまで行きはしない。だからといって、夫だけのために専業主婦だけを続ける日々は、きっと例えようもなく、むなしい毎日だろう(あくまでもわたしにとって、だけど)そして、結婚しているのに子供はいない、という女性は、専業主婦よりも、独身女性よりもさらに少ないマイノリティなのだ。マイノリティとは、世間の偏見と無理解との戦いを余儀なくされるものなのである。ないものねだりだとはわかっているけれど、共感する部分の多かったのは、やはり勝ち犬である主婦であるわたしは、負け犬たちがまぶしくて仕方なかった。

ラスト近くで、主人公の久本雅美のボスである竹中直人から言われた言葉。「10年後にお互い独身だったら、結婚しよう」こんなこといって、一年後くらいに彼は結婚していると言う可能性は高いのだが、それでも、一度くらいこんな言葉を言われてみたい、と思ってしまう。結婚なんか、どっちでもいいんだ、と言うような男の、最後の砦になると言うのも、素敵な人生なんじゃないか、と思うのだ。

そして、ボスに打ち合わせだと聞いて行った先で待っていた、女友達からの久本へのバースディプレゼントであるサプライズパーティー。ホテルのスイートを、女3人で借り切って騒ぐなんて、主婦にはまずできない事だ。このドラマは、まだ勝ち犬・負け犬どちらに転ぶかわからない20代の女性が、負け犬と勝ち犬に関する記事を書くという設定なのだが、最後に彼女が書いていた「自分を好きでいられる女性でいたい」結局は、これに尽きるのかもしれない。


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2004年・わたしの選ぶ展覧会ベスト5

041009important_painting.jpg本当は年内に載せたかったのですが、すっかり遅くなってしまいました。このサイト、メインは、わたしの描いた絵(植物・磁器絵付け・ひよこ)と庭の写真となっているのですが、ふと気づくと、エントリー数は、展覧会関係がすごいことになっています。特に昨年は、80を越える展覧会を見たので、このままにしておくと、何がよかったのか、月日の流れるうちに、埋没してしまいそうです。というわけで、順不同で、昨年一年で、心に残った展覧会について、書いてみようと思います。

まずは、昨年、すごくよかった展覧会を、見に行った順に挙げます。

『若冲と琳派 〜きらめく日本の美〜(2004.2.6)』
昨年は、琳派ブームだったと言えると思うのですが、その先駆けとなった日本橋高島屋での展覧会です。が、しかし、わたしは琳派ではなく、伊藤若冲の描く鶏の絵に、とにかく感動。

図譜原画巡回展「日本の絶滅危惧植物」(2004.4.24)
自分が主として描いてるものなので、植物画展には、なるべく行くようにしているのですが、これはその中でも、レベル的にも、描かれている植物の希少性としても、本当に素晴らしかった展覧会でした。

『MoMA・ニューヨーク近代美術館展「モダンってなに?」(2004.5.28)』
それまでどちらかというと苦手意識のあったモダンアートの面白さを開眼させてくれた記念すべき展覧会。何かと話題の多かった森美術館ですが、常に話題性と質の高さを両立させた展覧会を提供しつづけてくれるのは、さすがだと感じます。

『世紀の祭典・万国博覧会の美術(2004.7.30)』
見たものは西洋美術系のほうが圧倒的に多かった筈なのですが、印象が強かったのは、日本的なものだった一年だったような気がします。この秋に本館がリニューアルされた国立博物館ですが、この展覧会は「これでもか!」という迫力の展覧会でした。最後のほうは、もういいよ、と言いたくなるほどで、さすがにヘロヘロになってしまいました。でも、大興奮しちゃったな(*^^*)

『幻のロシア絵本 1920-30年代(2004.8.20)』
展覧会は、展示されている作品そのものだけでなく、展示の仕方や展示されている箱も、とても重要である事を、とても実感した展覧会。小粋なイラストの描かれたたくさんの絵本が、アールデコの朝香宮邸に不思議にマッチングしていました。

次に、昨年見て、知って、多くの感銘を受けたアーティストを挙げます。

伊藤若冲
とにかく、言葉にはできないような、脳天を殴られるような感銘を受けました。彼が好きなのは、彼の絵の多くが、鶏の絵だから、というのもあるのかもしれませんが、それにしても、あの躍動感は素晴らしい。

草間彌生
好き嫌いの分かれるアーティストでしょう。実はクサマトリックスのときには、食わず嫌いをして、行かなかったのですが、最後の最後に、彼女の個展を見て、一気に彼女をみる目が変わりました。多くのコレクターが、彼女の作品を集めている事実からも、彼女の影響力のすごさを感じるに十分でした。

熊田千佳慕
この方に関しては、子供の頃に絵本などで目にされた方もいらっしゃるでしょう。わたしは残念ながら、数年前までこの方の事をまるで知らなかったのですが、自分のしている細密画の世界の第一人者として、一度は原画を見たかったのですが、その念願がようやく叶いました。本当に素晴らしくて、いつまでも眺めていたかったです。

藤本能道
磁器絵付けの参考に、和洋問わず絵付けの展覧会には脚を運んでいますが、とにかく感動しました。陶芸家として、絵付師としても超一流の人間国宝が、天皇陛下をお招きする、たった一度の晩餐のために、約一年かけて作り上げたディナーセットは、もう本当に圧巻です。彼の、同じ作品を飽くことなく作り上げるのは、苦行であるというのに、非常に共感しました。それでいて、セット全て同じレベルで仕上げる力量はさすがで、人間国宝の名に恥じないです。

ザオ・ウーキー
絵を描く事も、見る事もとても好きで、たいていの絵は好きなのですが、唯一理解できなかったのが、抽象絵画の世界でした。いいとも悪いとも思わない、何が言いたいのかわからない、そう感じる事が多かった抽象絵画の世界。でも、ザオの絵と出会い、その考えは一掃されました。何が言いたいのか、わからなくてもいい。ただこの絵が好きなんだから。彼の描く色、輪郭、ぼかし・・・そのすべてにどうしてこんなに惹かれるのか。わからなくていい。ただ好きなんだから。そんな風に思わせてくれたザオは、本当に偉大だと思うのです。


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草間彌生展・永遠の現在

竹橋の近代美術館で明日19日まで行われています。草間彌生の初期から最近までを振り返って見るのに、ちょうどいい展覧会です。今までとくに草間が好きでなかったわたしも、非常に楽しめたので、「食わず嫌い」の方も、一見の価値ありだと思います。この春に、MORI美術館で行われた「クサマトリックス」が話題となった草間彌生。初期の頃から、一貫して水玉や網目を多用した表現様式を変わらず続けていますが、個人コレクターのコレクションを集めた展覧会『アートがあれば』でも、多くのコレクターが草間の作品を所蔵していたように、非常に人気の高いアーティストです。

水玉や網目やなにやら不気味な増殖する物体の集合体である作品たちは、非常にグロテスクで、わかりにくく感じますが、それらは草間の生い立ちや、幼児期の体験などと密接して出てきたものであり、そのルーツを探って見ると、非常に作品たちが興味深く、面白く見えてくるから不思議です。

草間彌生は、幼い頃から幻覚や幻聴を見たり聴いたりしたそうで、それが「水玉に埋め尽くされる」という「自己消滅」の恐怖に繋がっています。また、長野県松本市にある草間家では、男性が非常に横暴で、女性はいつも男性に踏みにじられ、泣いて暮らしていると言う様子を、いつも見て育った彌生は、男性を嫌悪し、その嫌悪の象徴として、男性器をモチーフに作品作りをするようになります。

一連の銀色のオブジェのシリーズなどは、すべて男性器(男根=ファルス)をモチーフとして作られ、これらを作ることで、草間は男性への嫌悪感を、克服しようと懸命に戦っていたともいえるのです。とはいえ、命の凍結されたような男根の中で、一本だけそそり立つモノに、薬缶をぶら下げた「The Man」はなかなか強烈で、思わず「あげまん」と言う映画を思い出してしまいました・・・

その他、展示内容の概要を。

セクション・1「カボチャ」
明るく楽しい雰囲気で始まって、導入部としては最適かも。黒と黄色のドットで表現されたカボチャは、草間の代表作であると言えるでしょう。このドットを描くのは、相当忍耐力が必要だろうなぁ、と思いつつ見ていました。

セクション・2「信濃の灯」(2000年)
鏡の間の中央に、電飾を施した小部屋があり、窓から覗くことができるようになっています。タイトルの印象の古風さとは、まったくイメージの違った作品。四方に自分が見えるわけですが、これから何が始まるのか、意味もなく不安に襲われます。テーマパークなどにこれがあっても、きっと怖くないのでしょうが。電飾の中にも鏡があり、そこに写る自分の姿が、なんだか自分とは別物のように見えてきます。

セクション・3「1970年代のコラージュを中心に」
自画像とタイトルはついていても、グロテスクな植物のような物体の中に、蛾と卵の孵化する様子がコラージュされていて、草間の中に男性を嫌悪すればするほどに浮かび上がる、自分の女性と言う性に対する苦悩のようなものを読み取ったのは、深読みしすぎ??また、戦争をタマゴで表現し、網で宇宙や夜明けを表現したものなど、視覚的には美しいものも多い。その他、マカロニを貼り付けてできたドレスなども展示されていました。

セクション・4「水玉脅迫」(1996年〜)
春のクサマトリックスの中心的展示となった巨大な水玉のバルーン作品である。東京では黄色と黒だったけど、他の会場では、また違ったものになるのかもしれないそうだ。

セクション・5「モノクロームの世界」
1958年、ニューヨークに移り住んだ頃に始めた「無限の網」近くで見ると、確かに立体的ではあるのだけど、これに関しては、うーん、なんとも感想を持ちえませんでした。「The Man」はココに展示されていて、これだけは目立ってました・・・

セクション・6「水上の蛍」「I'm Here,but Nothing」(2000年)
「I'm〜」はあらゆるものが蛍光の水玉に覆われた暗い部屋なのだけど、その中に並んで、奥の部屋にある「水上の蛍」を見る順番を待つのです。ここはかなり長蛇の列となっていました。「水上の蛍」は、真っ暗な部屋の中ほどまで、通路があって、その上に立ち、一面の美しい電飾の光に囲まれると言うもの。美しく幻想的。これらはすべて草間の「自己消滅」というテーマが表現されたもので、美しいのに、漠然とした不安感が募ってくる。「水上の蛍」は、できれば、本当にひとりきりで見たかった。

セクション・7「銀色のオブジェ」
本来ならば、生命の象徴である男性器(男根)を、無機質な銀色で彩色することで、「死」と言うイメージを表していると言える。様々な美術館に所蔵されている同じテーマ作品を、一同に見られたのは、かなりうれしかった。また、すすけた黒で表された「冥界への墓標」と言う作品が気に入りました。

セクション・8「宇宙の心」(2002/2004年)
巨大なミラーボールがぐるぐると回っている。こういうのは、ちょっとよくわからない(^^ゞポリポリ

セクション・9「紙の上の小宇宙 -1950年代の水彩画を中心に」
実はこれが一番よかった。自分の水彩画を描くせいか、水彩画の難しさもよくわかっているからこそ、言えると思うのだが、やはり草間には強烈な個性と表現力があると思う。1948年の「玉ねぎ」に始まり、オレンジと黒の色彩が印象的な「雑草」「眼」のなんともいえないグリーンはすごく素敵で、また、モノクロの「花」の形に、なんとも言えず惹かれるものがあった。

セクション・10「天国への梯子」(2000年)
単なるチューブでくるまれた、色の変化していく梯子なのに、なんだかとても美しく見えるのは、この会場で、草間マジックに、わたしもかかってしまったのだろうか・・・思わず昇って「天国」へ行ってみたくなります。

セクション・11「壮麗な開花 -1980年代以降」
真っ赤な作品が多かった。赤に白の水玉で、夏の花を表現した「夏・1」「夏・2」赤く染めた軍手を並べた「赤い地平線」赤い触角のようなものが地面から、生えているような「再生の瞬間」など。赤い花の残骸のようなものの描かれた「残芽?」(自分でメモした文字が読めない(^^ゞポリポリ)が、なんだか印象的でした。

個人の展覧会の図録は買わない主義なのですが、これはかなり欲しくなりました。というか、草間の作品、わたしも欲しいかも・・・

リンク 公式サイト
弐代目・青い日記帳「草間彌生?永遠の現在」展
アルカリブログ「草間彌生?永遠の現在」展(東京都国立近代美術館)
現代アート道楽の日々。「草間彌生:永遠の現在」
ひだまりに言い置く「東京近代美術館と草間彌生展」
村崎式子日記「草間彌生 ?永遠の現在」


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宮内庁・三の丸尚蔵館 -デンマーク王室の陶磁コレクション・ロイヤルコペンハーゲン-

041207royal_copen1.jpgたまたま美術館案内を見ていて、見つけたこの展覧会。宮内庁なんて、ものすごく敷居が高いと思っていたのですが、行って見ると、随分多くの人たちが訪れて、賑わっていました。

また、場所と休館日、拝観時間の確認のために、宮内庁に電話したのですが、担当の方は、とても感じのいい男性で、なんだか、皇室がグッと身近に感じた瞬間でした(←単純)。

三の丸尚蔵館は、地下鉄大手町駅13b出口を上がったところのパレスホテルの前の大手門から入って、すぐに現れる建物です。
電話の男性が監修されているというHP 宮内庁HP
三の丸尚蔵館特別展「北欧からの美の花束・デンマーク王室の陶磁コレクション ロイヤル・コペンハーゲン」



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ヘラルド・コレクション 流行するポップ・アート

041206pop_art.jpg渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで、12/26(日)まで行われている展覧会です。若者の街・渋谷にふさわしく、会場内も、ほとんどが若い人たちでした。会期中無休で、19時までやっていると言うことで、月曜日の夕方に行きました。

以前は、モダンアートはわかりにくいし、手がかかってない(気がする)し、やたら派手だったりするし、なんだか苦手、と思っていたのですが、ここ1年で、ガラッと考えの改まったわたしです。特にポップ・アートは大好きで、ウォーホールは偉大だと思うし、リクテンシュタインの異常な高値も、わからないでもないと思ったりします。

でも、この展覧会は、ちょっと予想と違っていました。リクテンシュタインが、なんだか「らしくない」作品一点だったのに、ちょっとがっかり。一緒に行った友人は「MORI美術館の展覧会(MoMA展)は多すぎて疲れたから、これくらいでちょうどいい」と言っていましたが、わたしの中では、MoMA展は、今年見た展覧会ベスト3に入るくらいよかったので、それには適当に言葉を濁して、さらっと見ていました(^^ゞポリポリ

ポップ・アートは、当時流行していたカンディンスキーなどの「豊かな表現力をそなえたスタイルの抽象画」に対抗するように出てきたスタイルで「現代の生活に満ちあふれているもの、外面的な要素の強いもの」「思想的なものや、内面的なものは何もない」ということを定義としています。それは、ダダのデュシャンの『レディメイド』と共通したものであり、初期のポップアートは、ネオ・ダダ、つまりダダ的な反芸術性を引き継いだものであるのです。

退廃的なモノ、安っぽさ、現代生活の断片的なものを寄せ集めたものがポップアートで、このポップアートとダダ以外の芸術がより高い創造性や芸術性を重視しているのに対して、このふたつだけは、クリエイティブではないこと、自らは表現しないで、すでにあるものを使うこと、非創造性を強調することで、他との一線を画しています。

とこう書くと、非常になにやら難しいのですが、見る分には、単純に楽しい展覧会です。人によっては、お金を返せ、と思う人もいると思いますが(^^ゞポリポリ

そして、最初に「手が込んでいない(気がする)」と書きましたが、たとえば、あみ点を描くことで、印刷されたものをイメージしたリクテンシュタインは、古典作品を自分流にアレンジしていますが、あの「あみ点」には、非常に時間がかかっていて、モネの「積み藁」のアレンジなどは、確実にモネより手の込んだ作品であることは間違いありません。

最後に、この展覧会でわたしが一番心に残った作品は・・・というか、もうこれを見てしまったら、これしか頭に残らなかった作品は、図録を買わなかったので、タイトルも作家名も忘れてしまいましたが、裸の男女が絡み合いつつ眠っている彫刻作品。わざわざ、あんなものが、あんなところに、あんな状態で作られていて、しかも、回り込まないと見られない展示の仕方。女性はみんな回りこんでいたのに、カップルの男性は見ていませんでした。それがすごくおもしろかったです(笑)


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ボストン美術館所蔵 ローダー・コレクション 美しき日本の絵はがき展

041203postcard.jpgこの展覧会は、行く前からかなり期待していたのですが、期待を裏切らない良質な展覧会でした。現代美術のコレクターとして知られる米国の化粧品会社エスティローダーの会長、レナード・A・ローダー氏のコレクション25,000枚から厳選された350枚を紹介しています。

絵はがきと侮るなかれ、著名な画家のものも多く、浅井忠や竹久夢二のものなど、デザイン的にもとても小粋でしゃれていて、今これを送り合っても、少しもおかしくないほどの、普遍的な魅力にあふれています。

テーマごとに8つのセクションに分かれていました。まずは、絵はがきの誕生。日露戦争当時の絵はがき。軍用機や兵士たちの絵柄は、とても人気があるのだそうです。そして、画家による絵はがき。アール・ヌーヴォーとアール・デコ。ユーモアの世界。年賀状。広告としての絵はがき。

041203postcard2.jpgアール・ヌーヴォーは、ヨーロッパにおけるジャポニズムの表現でもあるのですが、その日本でのアール・ヌーヴォーは、欧米人の表現するものとはまた違った、和洋折衷の面白さがあると感じました。また、潔いほどの簡素な美しさやデザイン性の高さを感じさせるアール・デコは、日本の和の美意識に通じるところがあり、いわゆるモガなどを描いたイラストも、すごく洗練されていて、わたしもコレクションしたくなってしまいました。年賀状の干支のものは、これからの季節、なかなか参考になりそうです。

最後に、このチラシの下の丸の中の、モノクロの女性の絵はがき、ユーモアの世界で紹介されていたのですが、どうも「リング」を思い出してしまうのは、わたしだけでしょうか?(笑)
迷うことなく、図録を購入しました。『幻のロシア絵本 1920-30年代』と同じくらい、大切な宝物になりそうです。また、受付でエスティローダーのサンプルもいただけて、ラッキー♪
『逓信総合博物館 ていぱーく』


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