エッセイストであり、画家である玉村豊男さんの作品展が、あちこちのデパートで開催されている模様。わたしは、10/8(金)〜13(水)まで開催されていた日本橋三越で、10/12(火)に見て来ました。画像は、品切れだったのか、白黒のコピーしかありませんでした。それに、適当に色をつけてみました。
小粋なセンスの水彩画は健在で、うっとり眺めていました。彼の描く素朴でいておしゃれな野菜やハーブの絵も、しゃれた都会の街角も、どちらも大好きです。そして、今回展示されていた絵以上に、心惹かれたのは、彼のデッサンや素描を集めた作品集。花の絵、野菜の絵などに分かれて何冊か出ていますが、もうそれはそれはいろんな表現で対象物が描かれていて、改めて玉村氏の幅の広さを感じました。わたしも、もっといろんな絵を、いろんな表現で描きたいなぁ、と思いました。
マチスの展覧会でも思ったのだけど、同じモノを見て、違う表現で描くと言うのも
今はすごくやってみたいこと。今までは、花を見ると、ボタニカルアートで、細密に描くことしかしてこなかったし、そのことに疑問すら抱かなかったけど、これからは、いろんな画法を試してみたいと思っています。ただ、細密画をある程度極めて、そこからデフォルメすると言うことは、とても大切なことだけど。何でも、基礎のない上に、立派な家を建てることはできないのだから。
ヴィラデスト歳時記2004 玉村豊男作品展
ウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ展
10/14(木)すっかり外は暗くなっても、デパートの催事は遅くまでやっていてありがたいです。東京駅の大丸ミュージアムで開催されていた『ウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ展』を見て来ました。
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作品の展示と言う観点では、ちょっと消化不良的な感があるのは否めません。でも、今回は、モリスと言う人やその活動を、とても理解できたので、実り多い展覧会だと言えました。ただ、それならば、モリスの書籍を読んでもできることで・・・帰りのエレベーターで、知らない女性たちが「結局、本物を見てどうこうってものじゃないんだよね」と言っていたのに、納得。
展示のほとんどは、彼の代表的な作品であるテキスタイルのデザイン画と実際の生地で占められているのですが、生地の柄の一部が大きく描かれていたり、見覚えある柄の古い生地が掛けられているだけで「なんてすごいんだろう!」と感動する類のものではないのです。だからといって、モリスの作品がよくない、とうのではもちろんありません。彼の作品は、生活の中に取り入れてこそ、その価値を発揮するものだし、彼が目指したのは、そこにあるのですから。
むしろ、この展覧会で見るべきは、陶芸や金属細工のほうかもしれません。こちらは本当に素晴らしく、職人の技を感じました。1997年にも、モリスの回顧展が開かれて、当時関西在住だったわたしは、京都の美術館に足を運びました。そのときよりは、ずっと深くモリスを理解できたように思うので、進歩はあったかな、と感じます。展覧会は、見る側の受け入れ姿勢もとても大事だと、最近特に思います。
以前に『万国博覧会の美術』と言う展覧会のところでも触れたのだけど、19世紀、明治維新の頃には、工芸は美術とは認められておらず、美術(fine arts)とは、「絵画」「彫刻」「建築」のみであり、それ以外は認めない、と、きっちり線引きがされていたのでした。
そんな中、世紀末に起こった「アーツ&クラフツ運動」は、今までにはなかった新しい美の世界を提唱していきます。ちょうど、産業革命で、工業化が進み、何でも機械化が進むと、今までは、庶民には手に入らなかった新品の洋服なども、廉価で買うことができるようになります。それまでは、新しい服を仕立てると言うことは、非常に高価であり、限られた特権階級だけに許されたことでした。一般庶民は、古着を着るのが普通でしたので、新しい洋服に袖を通す事ができるのは、まるで夢のようではありました。
しかし、機械化されたとは言っても、当時の工業製品は質が悪く、粗悪品が、世間にはびこるようになりました。それに危機感を持ったのが、多くの工芸家たちでした。彼らは、このようなものばかりが世界中にあふれてしまったら、世の中はダメになってしまう、と感じます。もっと、美しく質のいいものを、廉価で庶民にも提供することはできないだろうか。そして、庶民の生活の質を向上して、生活自体を美しく、豊かにできないものか。これが、モリスの提唱した『アーツ&クラフト運動』の根底に流れる精神で、国を超えて、大きなアートの流れとなって行きます。
フランス語で『アール・ヌーヴォー(新しい芸術)』英語で『モダン・スタイル(近代的なスタイル)』ドイツ語で『ユーゲン・シュテイル(若いスタイル)』言葉は違えども、意味するところは同じ。今までになかった、まったく新しい芸術の世界。それは、伝統工芸の復興であり、『美しい世界』の実現を目指していました。
しかし結局、志は高かったものの、この活動は、成功したとは言えません。なぜなら、手の込んだ工芸品は、どうしても高価にならざるを得なく、モリスの工房の作品は、庶民には手の届かないものとなり、彼の顧客は結局は、富裕階級に限られるようになってしまったのです。社会主義活動家としても知られ、人々が等しく美しいものを共有する理想のユートピアを目指していたモリスは、最後までこのジレンマに苦しみます。
しかし、カタログ本文中にもあるように
それがモリスの残した、大きな功績であると言えると思うのです。
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作品の展示と言う観点では、ちょっと消化不良的な感があるのは否めません。でも、今回は、モリスと言う人やその活動を、とても理解できたので、実り多い展覧会だと言えました。ただ、それならば、モリスの書籍を読んでもできることで・・・帰りのエレベーターで、知らない女性たちが「結局、本物を見てどうこうってものじゃないんだよね」と言っていたのに、納得。
展示のほとんどは、彼の代表的な作品であるテキスタイルのデザイン画と実際の生地で占められているのですが、生地の柄の一部が大きく描かれていたり、見覚えある柄の古い生地が掛けられているだけで「なんてすごいんだろう!」と感動する類のものではないのです。だからといって、モリスの作品がよくない、とうのではもちろんありません。彼の作品は、生活の中に取り入れてこそ、その価値を発揮するものだし、彼が目指したのは、そこにあるのですから。
むしろ、この展覧会で見るべきは、陶芸や金属細工のほうかもしれません。こちらは本当に素晴らしく、職人の技を感じました。1997年にも、モリスの回顧展が開かれて、当時関西在住だったわたしは、京都の美術館に足を運びました。そのときよりは、ずっと深くモリスを理解できたように思うので、進歩はあったかな、と感じます。展覧会は、見る側の受け入れ姿勢もとても大事だと、最近特に思います。
以前に『万国博覧会の美術』と言う展覧会のところでも触れたのだけど、19世紀、明治維新の頃には、工芸は美術とは認められておらず、美術(fine arts)とは、「絵画」「彫刻」「建築」のみであり、それ以外は認めない、と、きっちり線引きがされていたのでした。
そんな中、世紀末に起こった「アーツ&クラフツ運動」は、今までにはなかった新しい美の世界を提唱していきます。ちょうど、産業革命で、工業化が進み、何でも機械化が進むと、今までは、庶民には手に入らなかった新品の洋服なども、廉価で買うことができるようになります。それまでは、新しい服を仕立てると言うことは、非常に高価であり、限られた特権階級だけに許されたことでした。一般庶民は、古着を着るのが普通でしたので、新しい洋服に袖を通す事ができるのは、まるで夢のようではありました。
しかし、機械化されたとは言っても、当時の工業製品は質が悪く、粗悪品が、世間にはびこるようになりました。それに危機感を持ったのが、多くの工芸家たちでした。彼らは、このようなものばかりが世界中にあふれてしまったら、世の中はダメになってしまう、と感じます。もっと、美しく質のいいものを、廉価で庶民にも提供することはできないだろうか。そして、庶民の生活の質を向上して、生活自体を美しく、豊かにできないものか。これが、モリスの提唱した『アーツ&クラフト運動』の根底に流れる精神で、国を超えて、大きなアートの流れとなって行きます。
フランス語で『アール・ヌーヴォー(新しい芸術)』英語で『モダン・スタイル(近代的なスタイル)』ドイツ語で『ユーゲン・シュテイル(若いスタイル)』言葉は違えども、意味するところは同じ。今までになかった、まったく新しい芸術の世界。それは、伝統工芸の復興であり、『美しい世界』の実現を目指していました。
しかし結局、志は高かったものの、この活動は、成功したとは言えません。なぜなら、手の込んだ工芸品は、どうしても高価にならざるを得なく、モリスの工房の作品は、庶民には手の届かないものとなり、彼の顧客は結局は、富裕階級に限られるようになってしまったのです。社会主義活動家としても知られ、人々が等しく美しいものを共有する理想のユートピアを目指していたモリスは、最後までこのジレンマに苦しみます。
しかし、カタログ本文中にもあるように
アーツ・アンド・クラフツ運動と言うのは賞賛に値するものではあったけれども、根深い社会悪に対する現実的な解決手段にはならず、むしろ産業主義への抵抗の試みであったに過ぎない。とはいえ、アーツ・アンド・クラフツ運動は30年以上にわたり英国をはじめ各地で、伝統的な職人の手仕事による装飾芸術に最後の隆盛をもたらしましたし、また製作者の気高い理想が込められた素晴らしい芸術品という遺産を、今日の我々に残してくれた。その精神は気高く、現代にも受け継がれ続けています。
A・H・マクマードゥはその著書『アーツ・アンド・クラフツ運動の歴史』の中で、アーツ・アンド・クラフツ運動の作家たちの理想主義についてこう記している。彼らは「生活の糧を得る手段としてではなく、生きがいとして、それらの芸術を深く愛したのである」引用『ウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ』 「ウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動(ピーター・コーマック)」p.14
それがモリスの残した、大きな功績であると言えると思うのです。
假屋崎省吾の世界展
10/14(木)会社帰りに寄り道。すっかりスター華道家になってしまわれた假屋崎さんの作品展である。ちょうど会期中の琳派展に合わせたのか、活花で琳派を表現するという大胆なことに挑戦しておられた。
ちょうど三越の新館7階のギャラリーのオープン記念の展覧会ということで、新しく広々とした空間だった。活花と言うより、極彩色のオブジェと言う感じ。巨大なアート作品の中に、花が添えられてると言う感じだった。
琳派風って、紫とか金なのねー・・・と納得。でもその中に唐突に、洋風のしつらえ(しかもやたらゴージャス)なのがあったのには、やや違和感?まるで先日の近代美術館『RIMPA展』で「マティスやウォーホールの中に琳派が見えませんか??」と問われて、ちょっととまどってしまったような。でもこれはこれで「アリ」何だと思う。いわゆる「活花」とは違うけれども。
ほんの半年ほどだけ、活花を習ったことがある。活花の先生については、みなさんいろいろおっしゃるのを聞くけど、生徒の活けたものを全部抜いて、活けなおしてしまうのは、あまりいい先生ではないとか。それで言うなら、わたしが付いた先生は、あまりいい先生ではなかったのかもしれない。毎回、結局自分のどこが悪くて、どこをどう直せばいいのか、さっぱりわからなかったのだから。先生の人柄は、好きだったんだけどねぇ。
公民館で、半年のカリキュラムで行われていた教室だったので、それが終ったら、そのままやめてしまった。元々、花は地面からすくっと生えているのが好きなわたしには、活花やアレンジメントの類は、向いていないのかもしれない。
ちょうど三越の新館7階のギャラリーのオープン記念の展覧会ということで、新しく広々とした空間だった。活花と言うより、極彩色のオブジェと言う感じ。巨大なアート作品の中に、花が添えられてると言う感じだった。
琳派風って、紫とか金なのねー・・・と納得。でもその中に唐突に、洋風のしつらえ(しかもやたらゴージャス)なのがあったのには、やや違和感?まるで先日の近代美術館『RIMPA展』で「マティスやウォーホールの中に琳派が見えませんか??」と問われて、ちょっととまどってしまったような。でもこれはこれで「アリ」何だと思う。いわゆる「活花」とは違うけれども。
ほんの半年ほどだけ、活花を習ったことがある。活花の先生については、みなさんいろいろおっしゃるのを聞くけど、生徒の活けたものを全部抜いて、活けなおしてしまうのは、あまりいい先生ではないとか。それで言うなら、わたしが付いた先生は、あまりいい先生ではなかったのかもしれない。毎回、結局自分のどこが悪くて、どこをどう直せばいいのか、さっぱりわからなかったのだから。先生の人柄は、好きだったんだけどねぇ。
公民館で、半年のカリキュラムで行われていた教室だったので、それが終ったら、そのままやめてしまった。元々、花は地面からすくっと生えているのが好きなわたしには、活花やアレンジメントの類は、向いていないのかもしれない。
家庭画報大賞展
10/12(火)、琳派展のあとに見たのがコレ。先日の松屋でのおしゃれ工房フェスティバルとともに、かなり楽しみにしています。これは、セレブなマダムの愛読誌『家庭画報』の募集するコンテストで、読者の「手仕事」作品の優秀作品が並ぶわけですが、もうこれがすごい。わたしも手作りは好きですが、恐れ多くて、好きだなんて言えない位。こだわりと、根気と、独創性の賜物なのですね。
今回は、素材を布に絞ったそうで、装い部門とインテリア部門に分けられていました。作品たちに、制作時間が書かれているのですが、意外と短いと感じるものもあれば、よくこんなに時間をかけたなぁと思うものも・・・・秋の夜長、わたしも久しぶりに針を持ちたくなってきました。
今回は、素材を布に絞ったそうで、装い部門とインテリア部門に分けられていました。作品たちに、制作時間が書かれているのですが、意外と短いと感じるものもあれば、よくこんなに時間をかけたなぁと思うものも・・・・秋の夜長、わたしも久しぶりに針を持ちたくなってきました。
杉崎夫妻のボタニカルアート展
10/12(火)仕事の顔合わせが午後からだったので、その前に新宿まで足を伸ばして、最終日の展覧会を見て来ました。
杉崎夫妻は、山形在住で、ご夫婦で植物画を描かれています。一年おきに、新宿の『新宿高野ギャラリー』で展覧会を開かれるのが、恒例になっています。わたしももう訪れるのは三度目。自分が専門に描いているジャンルの展覧会は、やはりマメに足を運びます。
読売新聞を購読されている方なら、この方たちの絵を、よく目にされているかもしれません。読売新聞日曜版『旅ひと心』という、各界の著名人の旅に関するコラムに添えられている花の絵を中心に、今回の展覧会は開かれていました。我が家は日経なので、今回、そのことをこの展覧会ではじめて知ったのでした。
******************************************
一昨年に訪れたときには、ご主人の紀世彦氏から、いろいろためになる話を伺ったのですが、今回は、奥様の文子さんとお話できました。「よく来てくださっていますね。覚えていますよ」と握手を求められました。最近、チャイナのほうに没頭していて、絵の教室もお休みして、家でもほとんど描いていないわたしは、何だかちょっと気が引けたりして。
以前にも紀世彦氏に「とにかくたくさん描くことです。描けばおのずと見えてきます」「どの画家さんにも言えることですが、だいたい60代くらいが脂の乗り切った頃みたいですね。それを目指そうと思えば、あなたには、まだまだうんと時間があります」そんな風に言って頂いたのに。あまりに、わたしと話しこんで下さって、申し訳なくなって恐縮すると「若い人には、年寄りの話を聞く権利があるんですよ。義務ではなくね」温かい人柄は、絵から伝わるそのものです。
なのに、また気づくと、サボっているわたし。
文子さんには「とにかく、一番いい花を選びなさい。それには、花をよく見ること。パッと見て、あ、これ描こうと、一輪だけ見て描いてもダメ。その花を描こうと思ったら、一年前から観察して、その花をよく知って、花が咲いて、一番キレイなときに、一番いい形の花を描くのよ。いい花を選べば、自然にいい絵になります」こう言われ、またもや反省。わたしなど、庭に花が咲いても「あ、描かなくっちゃ」と思ううちに、どんどん時間が過ぎて、結局、たくさん咲いていた花の最後の花が、しおれかけたときになって、慌てて描き出すような始末・・・これじゃ、いけませんね(^^ゞポリポリ
とりあえずは、絶対的に時間がないので、うまく息抜しつつ、チャイナの展覧会を無事終らせたら、こちらのほうも、もっと頑張らなくっちゃなぁ。花は、待っていてくれないのだもの・・・今年も、描けないままにシュウメイギクが終ってしまいました・・・
杉崎夫妻は、山形在住で、ご夫婦で植物画を描かれています。一年おきに、新宿の『新宿高野ギャラリー』で展覧会を開かれるのが、恒例になっています。わたしももう訪れるのは三度目。自分が専門に描いているジャンルの展覧会は、やはりマメに足を運びます。
読売新聞を購読されている方なら、この方たちの絵を、よく目にされているかもしれません。読売新聞日曜版『旅ひと心』という、各界の著名人の旅に関するコラムに添えられている花の絵を中心に、今回の展覧会は開かれていました。我が家は日経なので、今回、そのことをこの展覧会ではじめて知ったのでした。
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一昨年に訪れたときには、ご主人の紀世彦氏から、いろいろためになる話を伺ったのですが、今回は、奥様の文子さんとお話できました。「よく来てくださっていますね。覚えていますよ」と握手を求められました。最近、チャイナのほうに没頭していて、絵の教室もお休みして、家でもほとんど描いていないわたしは、何だかちょっと気が引けたりして。
以前にも紀世彦氏に「とにかくたくさん描くことです。描けばおのずと見えてきます」「どの画家さんにも言えることですが、だいたい60代くらいが脂の乗り切った頃みたいですね。それを目指そうと思えば、あなたには、まだまだうんと時間があります」そんな風に言って頂いたのに。あまりに、わたしと話しこんで下さって、申し訳なくなって恐縮すると「若い人には、年寄りの話を聞く権利があるんですよ。義務ではなくね」温かい人柄は、絵から伝わるそのものです。
なのに、また気づくと、サボっているわたし。
文子さんには「とにかく、一番いい花を選びなさい。それには、花をよく見ること。パッと見て、あ、これ描こうと、一輪だけ見て描いてもダメ。その花を描こうと思ったら、一年前から観察して、その花をよく知って、花が咲いて、一番キレイなときに、一番いい形の花を描くのよ。いい花を選べば、自然にいい絵になります」こう言われ、またもや反省。わたしなど、庭に花が咲いても「あ、描かなくっちゃ」と思ううちに、どんどん時間が過ぎて、結局、たくさん咲いていた花の最後の花が、しおれかけたときになって、慌てて描き出すような始末・・・これじゃ、いけませんね(^^ゞポリポリ
とりあえずは、絶対的に時間がないので、うまく息抜しつつ、チャイナの展覧会を無事終らせたら、こちらのほうも、もっと頑張らなくっちゃなぁ。花は、待っていてくれないのだもの・・・今年も、描けないままにシュウメイギクが終ってしまいました・・・
煌きのビーズ展
えと、エントリーの順序が前後しています。これは、10/10(日)にマティス展を夫と見たあとに見に行ったのでした。その間に、実はわたしの絵の先生の出展されてたグループ展を見るために、外苑前まで行ったりして、上野から銀座線を行ったり来たりしてました。
銀座の松坂屋で、10/6(水)〜12(火)まで開催されていたビーズ展ですが、すごいですね〜〜。何でこんなの思いつくんだろ??って、思うような、凝ったものが増えましたね。もうあまりに広まりすぎて、素人でもそこそこレシピ思いついちゃう時代ですから、そんな中で、プロでやっていくって、案外シビアなのかもしれないなぁ、と思いました。
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特に、最近は天然石のブームが定着してて、スワロ、特に5301ソロバンを使うと、何だか今さらっぽく感じちゃったりしますが、スワロにこだわって、独自の色彩感覚で、まさしく「煌く世界」を作り上げる金井志帆さんの作品は、本当に素晴らしいと思いました。ご本人にもお会いできて、少しお話させていただきましたが、すごいのは、勘を頼りに作っていくので、特に細かいものは、同じものは二度とできないとか。デザイン画とか描かないで、感性だけで作っちゃうって、すごすぎます。
あとは、この日に講習会をしてらした飯島由貴さんの、各国の女王のイメージで作られたというアクセサリーたちが素敵でした。マリー・アントワネット、エリザベートなどの西洋の王妃から、中国の西太后まで、本当に、彼女たちが身に着けていてもおかしくないような、豪華さにうっとり。
そして、アクセサリー作家の方たちは、美しい方が多いのはなぜでしょう・・・天から与えられすぎ!うらやましいです〜
銀座の松坂屋で、10/6(水)〜12(火)まで開催されていたビーズ展ですが、すごいですね〜〜。何でこんなの思いつくんだろ??って、思うような、凝ったものが増えましたね。もうあまりに広まりすぎて、素人でもそこそこレシピ思いついちゃう時代ですから、そんな中で、プロでやっていくって、案外シビアなのかもしれないなぁ、と思いました。
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特に、最近は天然石のブームが定着してて、スワロ、特に5301ソロバンを使うと、何だか今さらっぽく感じちゃったりしますが、スワロにこだわって、独自の色彩感覚で、まさしく「煌く世界」を作り上げる金井志帆さんの作品は、本当に素晴らしいと思いました。ご本人にもお会いできて、少しお話させていただきましたが、すごいのは、勘を頼りに作っていくので、特に細かいものは、同じものは二度とできないとか。デザイン画とか描かないで、感性だけで作っちゃうって、すごすぎます。
あとは、この日に講習会をしてらした飯島由貴さんの、各国の女王のイメージで作られたというアクセサリーたちが素敵でした。マリー・アントワネット、エリザベートなどの西洋の王妃から、中国の西太后まで、本当に、彼女たちが身に着けていてもおかしくないような、豪華さにうっとり。
そして、アクセサリー作家の方たちは、美しい方が多いのはなぜでしょう・・・天から与えられすぎ!うらやましいです〜
日本の美「琳派」展2004
10/12(火)、近代美術館でのRIMPA展大盛況の勢いに乗るように、日本橋三越で開催中の『日本の美「琳派」展2004』に行ってきました。その前に、近代美術館のRIMPA展にも、再度行ってきました。10/3(日)までの展覧会に、10/1(金)に行ったのですが、それはもうすごい人で、一応平日の昼間だったのに、入場制限があって驚きました。前回(9/3 RIMPA展)は、けっこうゆったりと見られたのに、今回は、絵の前に立ち止まる事が許されない感じでした。
でも、とりあえず二度目でしたので、前回展示されていなかった、入れ替えのあったものを中心に見たので、まだよかったかも〜。会期の長い美術展は、最初のほうに行くに限りますね〜〜〜。前回と同じく、川端龍子の大きな屏風絵の前に立ち尽くしていました。黒地に、金泥で描かれた花の絵は、描きなおしの一切許されない世界・・・この勢いと迷いのない筆さばきは圧巻です。
さて、三越の琳派展のほうはというと・・・
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仕事の後に行ったので、平日の夕方でしたが、それほどすごい混みではなく、ゆったりと鑑賞する事ができました。従来までの琳派展と同じく、宗達から始まるわかりやすい構成だったので、琳派の歴史を見直すという点で、琳派初心者のわたしには、近代美術館よりもより琳派を理解できたといえるかもしれません。
琳派といえば、宗達が最初と言われていますが、最初は書家の本阿弥光悦が、宗達を見出し、宗達の絵の上に書を書くという形で始まったものだそうですね。また、日本画の絵の流派というのは、普通は弟子へと受け継がれていくのが普通で、その中で、宗達の絵を100年後に引き継いだ光琳、さらにその100年後に光琳を引き継いだ酒井抱一ら(江戸琳派)からなる琳派は、非常に例外的だといえるのだそうです。
それにしても、当時の裕福な町民階級の粋なことといったら・・・今よりも、ずっと豊かな生活を送っていたように思います。うらやましいほどですね〜
今年はじめに行った「若冲と琳派」展でも、わたしは鈴木其一(きいつ)がいいと感じたのですが、今回改めて、やはり彼の作品が好きだと感じました。こういうのって、理屈じゃないんですね・・・あんまり豪華で華麗なものよりも、すっきりとしたもののほうが好きなわたしは、琳派(上方)の粋(すい)より、江戸の粋(いき)好みなのかもしれません。
10/17(日)(今日だぁ〜〜)までです。お早めに!
三越案内より
でも、とりあえず二度目でしたので、前回展示されていなかった、入れ替えのあったものを中心に見たので、まだよかったかも〜。会期の長い美術展は、最初のほうに行くに限りますね〜〜〜。前回と同じく、川端龍子の大きな屏風絵の前に立ち尽くしていました。黒地に、金泥で描かれた花の絵は、描きなおしの一切許されない世界・・・この勢いと迷いのない筆さばきは圧巻です。
さて、三越の琳派展のほうはというと・・・
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仕事の後に行ったので、平日の夕方でしたが、それほどすごい混みではなく、ゆったりと鑑賞する事ができました。従来までの琳派展と同じく、宗達から始まるわかりやすい構成だったので、琳派の歴史を見直すという点で、琳派初心者のわたしには、近代美術館よりもより琳派を理解できたといえるかもしれません。
琳派といえば、宗達が最初と言われていますが、最初は書家の本阿弥光悦が、宗達を見出し、宗達の絵の上に書を書くという形で始まったものだそうですね。また、日本画の絵の流派というのは、普通は弟子へと受け継がれていくのが普通で、その中で、宗達の絵を100年後に引き継いだ光琳、さらにその100年後に光琳を引き継いだ酒井抱一ら(江戸琳派)からなる琳派は、非常に例外的だといえるのだそうです。
それにしても、当時の裕福な町民階級の粋なことといったら・・・今よりも、ずっと豊かな生活を送っていたように思います。うらやましいほどですね〜
今年はじめに行った「若冲と琳派」展でも、わたしは鈴木其一(きいつ)がいいと感じたのですが、今回改めて、やはり彼の作品が好きだと感じました。こういうのって、理屈じゃないんですね・・・あんまり豪華で華麗なものよりも、すっきりとしたもののほうが好きなわたしは、琳派(上方)の粋(すい)より、江戸の粋(いき)好みなのかもしれません。
10/17(日)(今日だぁ〜〜)までです。お早めに!
三越案内より
桃山時代のきらびやかな装飾の余光をうけて、京都の上層町衆出身の本阿弥光悦と絵師・俵屋宗達が、王朝貴族の文化の復興を図ったのを始まりとする琳派は、元禄時代に彼らの作風を慕い、流派の名ともなった京都の尾形光琳によって大成されました。その後、大坂の中村芳中に伝播し、100年後には、江戸の酒井抱一によって江戸好みの洒脱さを加えられて開花してゆきます。浮世絵と並んで国際的にも評価の高い琳派。その優美な装飾感覚は、現代にも引き継がれています。会場となる三越は、前身の三井呉服店時代から元禄文化とその象徴である尾形光琳を顕彰し、光琳模様の呉服がつくられるなど、琳派の歴史とともに歩んできた百貨店といえます。1904年には、第1回の文化展として「尾形光琳展」が開催され、全国的な元禄ブームをおこしました。それから100年。日本人の文化に接する機会を提供してきた三越が、生活の中の琳派をテーマにその魅力を再発見していきます。
マティス展
『hotchpotch』さんのチケットプレゼントでいただいた『マティス展』に10/10(日)、行ってきました。人気のあるマティス展ですので、混雑は覚悟していましたが、意外にゆったりと見られたと思ったのは、その前に、ものすごい混雑の琳派展を体験してたかも?大好きなマティスの絵に囲まれて、シアワセ気分でした♪
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今回のマティス展の女性の絵を見て、グッゲンハイム美術館展に出展されているピカソの絵と似てると感じた方は、わたしだけではなかったようで、いろんなBLOGで目にした情報によると、2人は、お互いに刺激し合えるいい友人同士で、このモチーフも、同じテーマで描かれた物だといえるのだそうです。
この二人が、20世紀美術界に与えた功績は非常に大きく、比較される事も多いですが、何となく子供でも描けそうな、単純な線で描かれた絵は、確かに共通するものがあると感じられます。しかし、今回のマティス展のテーマである「プロセスとヴァリエーション」にあるように、一見たやすく描かれたように見られるマティスの絵は、実は長い試行錯誤の末に生まれた作品で、その過程には、さまざまな変化が存在し、最後の作品がその完成ではなく、過程に生まれる、いくつものバリエーションが、それぞれに完成形であるといえるのです。
マティスは、作品のプロセスというものに、多大な関心を寄せていたそうで、描きかけの作品の途中に、写真を撮るということを、1930年代からしていたようです。その頃の個展でも、作品ができあがる過程の作品を全て展示しています。今回の展覧会では、残念ながら、最終工程だけが本物で、残りは写真ですが、最初とは、全然別のものになっていく様子などが、興味深く見られます。
が、しかし、周りの人も口々に言ってて、笑ってしまったのですが「たやすく描けそうって、(場内説明に)二度も書かれてるし・・・どう見ても、簡単に描いてるようにしか見えない(笑)」わたしも、そうとしか見えないのです(ごめんなさい、マティス)でもね、たやすく描いていても、葛藤しながら描いていたとしても、わたしの中のマティスの価値に、何ら変わるものはないのです。
マティスは、人生の素晴らしさや生命の喜びを表現しようとした画家で、もちろん、どんな人間にも悩みや苦しみはあり、どんな人生にも闇はあるでしょうが、あえて、光の部分だけを描こうとしたのだそうです。こうして、葛藤や試行錯誤を公開しながらも、それでも我々は、マティスの絵を見るときに、明るい、楽しい気持ちになれます。それは、マティスの一番の功績だと思いますし、それだけで十分なのかな、と思ったりもします。ただ、葛藤しながら描いてたマティスを知る事ができたのは、よかったなぁ、と思いました。そう言う意味で、有意義な展覧会でした。bonfauteuilさん、どうもありがとう!
美術館案内より
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今回のマティス展の女性の絵を見て、グッゲンハイム美術館展に出展されているピカソの絵と似てると感じた方は、わたしだけではなかったようで、いろんなBLOGで目にした情報によると、2人は、お互いに刺激し合えるいい友人同士で、このモチーフも、同じテーマで描かれた物だといえるのだそうです。
この二人が、20世紀美術界に与えた功績は非常に大きく、比較される事も多いですが、何となく子供でも描けそうな、単純な線で描かれた絵は、確かに共通するものがあると感じられます。しかし、今回のマティス展のテーマである「プロセスとヴァリエーション」にあるように、一見たやすく描かれたように見られるマティスの絵は、実は長い試行錯誤の末に生まれた作品で、その過程には、さまざまな変化が存在し、最後の作品がその完成ではなく、過程に生まれる、いくつものバリエーションが、それぞれに完成形であるといえるのです。
マティスは、作品のプロセスというものに、多大な関心を寄せていたそうで、描きかけの作品の途中に、写真を撮るということを、1930年代からしていたようです。その頃の個展でも、作品ができあがる過程の作品を全て展示しています。今回の展覧会では、残念ながら、最終工程だけが本物で、残りは写真ですが、最初とは、全然別のものになっていく様子などが、興味深く見られます。
が、しかし、周りの人も口々に言ってて、笑ってしまったのですが「たやすく描けそうって、(場内説明に)二度も書かれてるし・・・どう見ても、簡単に描いてるようにしか見えない(笑)」わたしも、そうとしか見えないのです(ごめんなさい、マティス)でもね、たやすく描いていても、葛藤しながら描いていたとしても、わたしの中のマティスの価値に、何ら変わるものはないのです。
マティスは、人生の素晴らしさや生命の喜びを表現しようとした画家で、もちろん、どんな人間にも悩みや苦しみはあり、どんな人生にも闇はあるでしょうが、あえて、光の部分だけを描こうとしたのだそうです。こうして、葛藤や試行錯誤を公開しながらも、それでも我々は、マティスの絵を見るときに、明るい、楽しい気持ちになれます。それは、マティスの一番の功績だと思いますし、それだけで十分なのかな、と思ったりもします。ただ、葛藤しながら描いてたマティスを知る事ができたのは、よかったなぁ、と思いました。そう言う意味で、有意義な展覧会でした。bonfauteuilさん、どうもありがとう!
美術館案内より
絵とはどのように生まれてくるものなのか、この決して簡単には答えることのできない問題とマティスは真剣に取り組んだ画家であるといってもいいかもしれません。絵とは、あらかじめ画家の頭や心のなかにあった構想(意図あるいは意識)が、単純に絵に翻訳されたものではありません。画家と描かれる対象との対話、あるいは画家と作品との対話など、実際の作画という行為のなかで、ときに画家自身の意識をも超えて生まれてくるものです。描かれている最中に刻々とその表情を変えていく作品は、そのつど画家に問題を投げかけ、画家を試そうとするのだともいえます。このようなある種の葛藤のもとに生まれる作品は、最終的にたったひとつの帰結を持つものとは限りません。主題はさまざまに変奏され、いくつものヴァリエーションを生む可能性をはらんでいるのです。実際、マティスは、同じ主題をまったく異なる表現(より写実的であったりより抽象的であったり)によって表した作品を数多く残しています。
安野光雅の世界展
8〜9月にかけて、水彩画の講座を受けていたのですが、そのときに、最後の課題となったのが、風景画。猛暑の中、外にスケッチにいは行けないので、写真やイラストを見て描くというもので、この安野光雅さんのポストカードを見て描いてる方がいらっしゃいました。とても上手な方で、素敵に描かれていたのですが、先生も、安野光雅さんの原画を見る機会があれば、すごく勉強になるといわれたので、ちょうどタイミングよく開催されていた展覧会に行くことにしました。
安野光雅の世界展(茨城県つくば美術館) 10/11(月)まで
楽しかったです。そういえば、この方の本、子供の頃からよく目にしていました。アルファベットやひらがな、数字を使ったり、建物などのトリックアートや、ものすごく細密な旅の絵本など、これはやっぱり、ひとりでなく、誰かと話しながら、お互いの発見を教え合いながら見るのが楽しい展覧会だと思いました。
安野さんの出生地である津和野に、安野光雅美術館があるのですが、そこで出している『安野光雅の旅 カタログ』と言う本を買いました。それにしても、水彩はいいなぁ。わたしの好きな画家さん(イラストレーター)は、水彩の方が圧倒的に多いのです。玉村豊男さんは、油彩もお描きになるけど、やっぱり水彩が好き。永沢まことさんや、安西水丸さん(水彩じゃないかも?)も、透明感のある絵が特徴。で、昨日、三好貴子さんの『水彩1・2・3』と言う本を買ってしまいました。本当に、この方の絵はつぼ!こんな絵が描けたらいいものです〜〜〜
安野光雅の世界展(茨城県つくば美術館) 10/11(月)まで
楽しかったです。そういえば、この方の本、子供の頃からよく目にしていました。アルファベットやひらがな、数字を使ったり、建物などのトリックアートや、ものすごく細密な旅の絵本など、これはやっぱり、ひとりでなく、誰かと話しながら、お互いの発見を教え合いながら見るのが楽しい展覧会だと思いました。
安野さんの出生地である津和野に、安野光雅美術館があるのですが、そこで出している『安野光雅の旅 カタログ』と言う本を買いました。それにしても、水彩はいいなぁ。わたしの好きな画家さん(イラストレーター)は、水彩の方が圧倒的に多いのです。玉村豊男さんは、油彩もお描きになるけど、やっぱり水彩が好き。永沢まことさんや、安西水丸さん(水彩じゃないかも?)も、透明感のある絵が特徴。で、昨日、三好貴子さんの『水彩1・2・3』と言う本を買ってしまいました。本当に、この方の絵はつぼ!こんな絵が描けたらいいものです〜〜〜
大ヘレンド展
9/27(月)、日本橋高島屋で最終日の『大ヘレンド展』に行きました。毎年、三越がマイセン展を開催しているのに対して、対抗したんでしょうか。今年は、あちこちの高島屋で開催される模様。横浜や玉川の高島屋でも予定されているようなので、興味のある方は、ぜひ行ってみて下さい。トロいわたしは、最終日に行ったので、ペインターのデモンストレーションが見られませんでした〜〜〜何しに行ったんだか・・・・
でも、周りのセレブな奥様のお言葉によると、あんまり日本では見かけないような
かなりレアモノも見られるとか?ヘレンドの美しい色彩や、くっきりとした鮮やかな絵付けをじっくり見るチャンスではあります。ペインターには必見です。
帰りに、同じフロアで行われてた、刺繍の有料催事のグッス販売コーナーで、和の文様の本や、九谷焼の絵付けの豪華本を買いこんでしまいました。重かったです(^^ゞポリポリ
でも、周りのセレブな奥様のお言葉によると、あんまり日本では見かけないような
かなりレアモノも見られるとか?ヘレンドの美しい色彩や、くっきりとした鮮やかな絵付けをじっくり見るチャンスではあります。ペインターには必見です。
帰りに、同じフロアで行われてた、刺繍の有料催事のグッス販売コーナーで、和の文様の本や、九谷焼の絵付けの豪華本を買いこんでしまいました。重かったです(^^ゞポリポリ